Before you read

当ブログはほぼすべて長文になっております。あらかじめご了承ください。

スピ系が語る、イエス・キリストについての大嘘(1)ゲリー・ボーネルが見たイエス。

 

スピリチュアル系の人たちが語る、イエス・キリストや聖書について語る大嘘についての数々を転載。

スピリチュアル系は必ずと言っていいほど、イエス・キリストや聖書について出鱈目を語ります。そしてそのほとんどが、神や聖人についてのイメージを落とし、人々をがっかりさせるような内容になっています。スピリチュアル系とは、悪魔崇拝者が本当の神や聖書等について知らせまいと嘘ばかりを吹聴して回る活動であると考えられます。

おおよそチャネリングを通して現れる霊は全てエス・キリストや聖書について否定するような話を語ります。悪魔が霊媒の体に憑りつき、嘘を語っているとしか思えません。そのような話をペラペラと話すスピ系の人たちも悪魔崇拝関係者なのかと疑わざるを得ません。

「ゲリー・ボーネル」の画像検索結果

今回は、人気のサイキック(?)であるゲリー・ボーネル氏が語ったキリストの生涯などの大嘘についてご紹介します。

 

Amazon.co.jp

 

(『光のアカシャ・フィールド 超スピリチュアル次元の探求』より引用 )

 

ボーネル 問題は、歴史書だと認められるためには、関連する証拠がないと価値がない、ということです。

徳間書店さんを通してある本を書こうとしていました。イエス・キリストの生涯を書きたかったんです。でも、たとえ真の物語が語られたとしても、多分キリスト教徒はだれも信じないでしょうね。イエスとイエスのお母さんのマリア、そして奥さんのマグダラのマリアの話は、知られている物語とは違う。実際に今まで教えられてきたこととはまったく違うんです。

よしもと でも、日本はクリスチャンが少ないから出してもいいんじゃない?

ボーネル まあね。そうするかもしれません。でも、すぐに非難されるんじゃないかな。

よしもと 難しい問題ですね。

ボーネル そういった対立を生むような本を出す前に、まずは別の本を出したいと思います。(笑)

よしもと なるほど。

ボーネル 僕は日本でクラスをもっているのですが、そこで生徒さんたちにはアカシックレコードを読む練習をしているんです。

先日ある生徒さんが、アカシックレコードに「イエス・キリストを見せてください」とたずねてきたんですね。そして、彼女はイエスを見たんです。でも、見えた存在があまりにもイエスのイメージとかけ離れていたので、彼女は自分が正しい情報を得ているとは信じられず、クラスでこう言いました。「電車の中で、アカシックレコードと読む練習をしていたんです。イエスを見たんですけど、あれが本物のイエスだとは到底思えません」と。

そこで、僕がアカシックレコードから見ると、イエス・キリストはこういう姿の人だということを説明したんです。そうしたら、彼女は「ああ、見えたのはそのその人です!」と。実際のイエスは、背が低くて、結構お腹が出た人なんです。そうしたら、別の生徒さんが、「あ、それじゃゲリーさんみたいなんですか」と、ひどいジョークを言った。(笑)

よしもと 褒めているつもりだったのだろうか!

ボーネル 褒められたと受けとめました。それが僕の信念です。(笑)ひょっとしたら真実じゃないかもしれないけれども。

 

 

イエス・キリストの本当の姿と知られざる足跡( 47p )

 

よしもと みなさんから質問はないですか。

———先ほどゲリーさんが、アカシックレコードで見たキリストのイメージを、背が低くて、お腹が出ている、と。それって、日本人だとすごくなじみのある、だるまさんを思い出したんですけれども。

よしもと 布袋様もそうですよね。

———あと、そもそもイエスは白人だったのか、違うのか。

ボーネル 白人ではありません。彼はギリシャ・ヘブライ人。

よしもと どこからああいうふうになったんですか。あのすてきな感じに。

ボーネル ルネッサンスの時期です。

よしもと ああそうか、いっぱい絵に描かれていた。その人たちが自分の好きな感じに描いたんですね。

ボーネル アングロサクソン人にしてしまったんです。ハンサムで、細くて、背が高くて。

イエスが持っていたもので、あまり報告されていないものがあります。それは、彼の目なんです。本物のイエスは、本当にクリスタルのようにキレイなブルーの目をしていました。だから彼を見ると、ブルーの目があまりにも衝撃的です。

———何でだるまという質問をしたかそいうと、聖書の中に、キリストは途中、何も記録が残されていない時期があるんだけれども、その間いインドとか日本に来て修行したんじゃないかという伝説があるんです。

ボーネル イエスは、実際に世界中を旅しているんです。そして、多くの時間を北インドで過ごしています。シュリナガールという場所です。「イエス」は彼の名前ではなくて、イーサーというのが彼の名前です。イーサーというのをいわゆるアングロサクソン系の言語で表現したときに、ジーザスになった。

アカシャで北インドを見ると、イーサーイーと呼ばれるグループがあります。それはイーサーの信者たちという意味です。そこで彼はヒーリングとか、マニフェステーション、物を現実化する事、変化させることを覚えました。でも、当時のインドでは、それば別に大したことではなかったんです。たくさんの人が同じことができたから。

よしもと 過ごしやすかったでしょうね、それは。

ボーネル 興味深いのは、イエスの時代、イエス・キリストの生まれる前です。おそらく50年くらい前ですか、それからイエスが生まれてから50年、その時期にはメサイヤ(救世主)と呼ばれる人たちが何百人もいたんです。いわゆる奇跡を行える人です。特別なことができる人たちがたくさんいました。

でもイエスは本当に頭脳形跡で、成就されるべきすべての古い預言を、彼は実現してしまった。もし全部それをやらなければ、単なるたくさんいる救世主のうちの1人だった。要するに、古い預言を現実のものにしたから、たくさんの救世主の中の特別な人になったんです。

そして彼の弟子の中で、たった1人覚醒した弟子とはユダでした。ユダは、自分たちは預言を全うしなければいけないことを知っていたので、予言実現のために、ユダとイエスは計画をたてたのです。それが、ローマ軍に捕まってと言うシナリオです。

———では、裏切ったのは意図的な計画なんですね。ユダは裏切り者になっているけれども。

ボーネル ユダだけがイエスを本当に理解していました。だから、イエスはユダにしか頼りにできなかったんです。ほかの弟子たちは、「とんでもない、できません」と断った。なぜなら、彼らは覚醒していなかったからです。

よしもと 私も頼まれたら断るな、やっぱり。

ボーネル そのとおりですよね。でも、教会はユダを裏切り者にしなければいけなかった。

1300年代に、教会はマグダラのマリアを売春婦にしました。それまでは、彼女はそうじゃなかったんです。彼女はイエスの弟子であり、またイエスの先生だったんです。でも、結局は男性優位にしなければいけなかったので、教会はマグダラのマリアを売春婦にせざるを得なかった。また、ホモセクシャルの文化だったので、イエスを結婚させるわけにはいかなかったんです。

よしもと そんな事を本に書いたら大変なことになっちゃう。(笑)爆破されちゃう。でも、徳間書店は大丈夫だ。大体いつもそんなことばかりやっているから。

———ユダの福音書が、最近というか何年か前に発見されたんですけれども、近いことが書いてある。それは全部公開されているのが正しいのか、それともある程度隠されているのか。本当にちょっとだけしか公開されていないのか。

ボーネル 結構正確です。隠されている部分もあります。

聖書の、例えば「何々の福音書」などと書いてありますけれども、その人たちが実際に書いたものではありません。パウロがほとんど書いてしまったんです。

よしもと そんなことをするなんて、善かれ悪しかれすごい勇気。作家ならではの意見かな。

ボーネル パウロは、その人生では、ローマ軍の非常に高い地位にあった軍人だったんです。でも、完全にホモセクシャルでした。パウロが福音書をみんな書いたから。神父さんは結婚してはいけないとなってしまった。そういうルールを彼が作ったわけです。

それから、イエスのお母さんのマリアは、ユダヤ人の女性という形で記録されました。イエスのエネルギーがマリアのお腹の中に入るためには、マリア自身がすでにそのときに、いわゆる「キリスト」でなければならなかったんです。そうでないと、イエス・キリストのような存在のエネルギーをお腹の中で育てることはできなかった。でも、マリアが「キリスト」だという事は書かれていません。そうだったら、大問題になるからです。

イエスの物語は、本当にすばらしく魅力的です。結局、人々がイエスの伝説をまさに創作したからなんですね。

 

………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………..

「結局は作り話」「こんな人はいない」「イエス・キリストは実はこういう人」「別にそんなことは起きていなかった」等はスピリチュアル系がいつも語る嘘です。「大いなる叡智を持ったサイキック」が言ったから間違いないのでしょうか。

そして「創造主ヤハウェ」については触れず、「神々」について語り、エイリアンが地球に来て何をしていたか等嘘ばかりです。

聖書や聖人などについてトンデモを次々と語っていますけど、知りませんよ、どうなっても・・・。

ゲリー・ボーネル氏は無神論者でしょうか。神々と言っていますが悪魔教なのでしょうか。死んだあとは一応キリスト教のお墓に入るのだとしたら、どうなるのか恐ろしいような気がします。

 

外部リンク

RAPT | 「前世」はない。「輪廻転生」もない。その確固たる証拠。http://rapt-neo.com/?p=26215

RAPT | 偶像崇拝を強要し、輪廻転生はあると嘘をついた「釈迦」は、悪魔崇拝者だったのか。http://rapt-neo.com/?p=26253

やはり「釈迦」は紛れもない悪魔崇拝者でした。その確固たる証拠をお見せします。http://rapt-neo.com/?p=26281

RAPT | RAPT×読者対談〈第101弾〉日本は昔も今も悪魔教の国。

RAPT | この世の神はとかく悪魔だらけ。ヨガ、アセンション、アガルタ関連の話には要注意です。http://rapt-neo.com/?p=24226

RAPT | RAPT×読者対談〈第83弾〉アーシング、イヤシロチ、ヨガ……。余りに巨大な悪魔崇拝への入り口。http://rapt-neo.com/?p=36966

ゲリー・ボーネルが言うには「イエス・キリストは実は背が低くて、お腹の出た人」なのだそうです。そしてイエス・キリストは神の子などではなく、単に何百人もいる救世主のうちの一人だったのだそうです。

イエス・キリストは30歳から宣教活動を始め、12人の弟子を引き連れて、十字架に掛けられるまでわずか3年間しか活動ができなかったのに、その3年の間のうちの一時期は世界中を旅して、多くの時間をヒンズー教やイスラム教などの異教徒(悪魔教)のいるインドのシュリナガール(スリナガル)で過ごしたのだそうです。

 

「アカシャで北インドを見ると、イーサーイーと呼ばれるグループがあります。それはイーサーの信者たちという意味です。そこで彼はヒーリングとか、マニフェステーション、物を現実化する事、変化させることを覚えました。でも、当時のインドでは、それば別に大したことではなかったんです。たくさんの人が同じことができたから。」

 インド最北の大都市であるスリナガル。ここは、ダル湖のハウスボートという見所に加え、「インドの中のイスラム社会」という興味深い場所でもあります。モスクやラマダンを通して、彼らの信仰を観察してみました。<br /><br /><br />**情報は2009年9月中盤のもの。1ルピー=1.9円で計算。<br /><br />==カシミール観光白書 シリーズ一覧==<br />① スリナガル ハウスボート大全<br />http://4travel.jp/travelogue/10438056<br />② モスリムという生き方 (モスク、ラマダン、イスラム) &lt;==<br />http://4travel.jp/travelogue/10452111<br />③ スリナガル グリーン・グリーン (グルマルグ、カシミール鉄道)<br />http://4travel.jp/travelogue/10545380<br /><br />==インド・ラダック夢の跡 シリーズ一覧==<br />①真夏のダライラマ対策 (ティーチング)<br />http://4travel.jp/travelogue/10446819<br />②マルカ谷 D.I.Y.トレッキング (執筆予定)<br />③ラダック・フェスティバル 非公式ガイド (チャム・ダンス)<br />http://4travel.jp/travelogue/10437919<br />④その素晴らしき日々 (滞在情報、ティクセ・ゴンパ、バイクでゴンパ巡り)<br />http://4travel.jp/travelogue/10641487<br /><br /><br />変更:<br />2014/09/13 写真追加 + 拡大。
スリナガールのイスラム教徒 こちらより転載

神の力や、祈りによるものではないようです。異教徒のいるインドなどを旅して修行をして学ばないといけなかったのか。そして帰ってきて、また12人の弟子を引き連れ人々を癒したりしたという事のようです。

どこの宗教家と学んだのでしょうか。「北インドのイーサーイーと呼ばれるグループ」をネットで調べても何も見つかりませんでした。アカシックレコードでしか判らないようです・・・・・・。

キリスト教では他の神々に仕える事は禁じられているはずですが。まるでイエス・キリストがカルトであるかのように話をしています。

 

アカシックレコードに問い質して、そのようなイエス・キリストの姿が見えたと言っていますが、そのアカシックレコードとは何なのでしょうか。

そんなに簡単にイエス・キリストの真実が、信仰者でもない人にはっきり判るのですか。

ゲリー・ボーネル氏が率いるサイキックを養成する学校などに高いお金を払って、宇宙の叡智や(存在もしない)エイリアンについて語る授業を受ければ誰にでも簡単にキリストの真実を知る事が出来るとは思えません。

キリスト教についてほとんど知らず、関心もなく、聖書も読んだこともないような人が、単に興味本位でイエス・キリストがどんな姿なのか知りたいと聞いたら、そのようなイメージとはまったく違うイエス様が見えたのだそうですが、その人は受講者の中では高いレベルにいたという事でしょうか。サタンのレベルが高いのですか。偽の霊感をよく受けられましたという事でしょうか。悪魔や悪霊から嘘の情報を得たとしか思えません。

 

(Wikipediaより転載)

アカシックレコード(英: Akashic Records)は、元始からのすべての事象、想念、感情が記録されているという世界記憶の概念で、アーカーシャあるいはアストラル光に過去のあらゆる出来事の痕跡が永久に刻まれているという考えに基づいている。宇宙誕生以来のすべての存在について、あらゆる情報がたくわえられているという記録層を意味することが多い。アカシャ年代記(独: Akasha-Chronik、英: Akashic chronicles、アーカシャ記録、アカシアの記録)とも。近代神智学の概念であり、その他の現代オカルティズムの分野(魔術等)でも神智学用語として引き合いに出されることがある。また、陰に陽に神智学運動の影響を受けている欧米のニューエイジや、日本の精神世界・スピリチュアル、占い、予言といったジャンルでも使われる用語でもある。アカシックレコードが存在する科学的根拠はない。

(転載ここまで)

 
ゲリー・ボーネル氏はそのアカシックレコードを読み取る事ができる、数少ないサイキックのうちの一人だそうです。
そのアカシックレコードにアクセスとして、地球の未来や個人の転生についてや、将来起こるアセンションなどについて見ることができるのだそうですが、日本の地震の予言は外れましたし、他にも色々と外れていて必ず当たるわけでもないようです・・・・・・。
そのアカシックレコードは、悪魔崇拝の聖地であるチベットに物理的に存在するのだそうです。

こちらより転載)

 

『光の記憶』

(アカシックレコードで解き明かす人類の封印された記憶と近未来)

(高橋克彦・ゲリー・ボーネル)(VOICE)   1999/12

 

<ゲリーはシャンバラをどう見ているのだろうか?>

(脚注)シャンバラ(チベット語で「幸せに守られた」を意味する。現在の中央アジアの奥地、ヒマラヤ山脈の地下とゴビ砂漠の地下に伝説の楽園があるとされている。

 

(ゲリー)「アカシックレコードが物理的に存在するのがチベットなんです。チベットの中で、クリスタル化された形として、全ての情報が詰まったものが存在している。チベットの僧院の中に、凍りついた形でアカシックレコードというのが存在している。だからこそ、人間は、結局過去から未来への時間軸の中で自分の体験を探求できる」。

これは「異次元のチベット」という意味なのでしょう。

「アカシックレコードというのは物理的でない形の情報の倉庫」といわれております。

 

(転載ここまで)

 

チベットが悪魔崇拝の聖地である事や、シャンバラが地獄であることについては以下のリンクを参照して下さい。

 

外部リンク

 

〈閲覧注意〉チベットは悪魔崇拝の聖地です。http://rapt-neo.com/?p=24135

 

天皇中心のNWO計画とは、地底都市アガルタを地上に再現するための計画に他なりません。http://rapt-neo.com/?p=24053

より転載。

ナチスとチベットと緑龍会との関係について。そこには地底都市シャンバラの存在がありました。

一言で言うなら、ヒトラーがチベットに関心を持ち、調査に乗り出したのは、チベットに「シャンバラ」なる地底都市が存在しているからということになります。

そして、その地底都市とは、おおよそ以下のような構造になっています。昨日もご紹介しましたが、もう一度ここに貼り付けておきます。

o0438044311465139963

一応、地球空洞説というのは前々から噂には聞いていましたし、ご多分に漏れず、この説も一般的にはトンデモ話と言われていますが、つい最近、スノーデンが「地底人はいる」などと証言したりもしていますし(詳しくはこちら)、悪魔崇拝者はやたらと地下を好み、数多くの地下施設を作ったりもしていますので、私としてはやはりこの「シャンバラ伝説」をトンデモといって一蹴するわけにはいきません。

では、この地球空洞説。科学的に見てどれほどの信憑性があるのかというと、実はかなり信憑性がありそうです。以下の図を見てください。

img_1

この上の図が、地球空洞説を唱えている学者たちの説をまとめて図にしたものです。

この説を一言で説明すると、我々が普段生活している地球の表面はおおよそ千キロぐらいの厚さがあって、その下が空洞の空間になっている。で、その空間のことを「アガルタ(シャンバラはその一部地域)」と言い、その空洞の中央に「セントラルサン」という太陽が輝いているとのことです。

で、この地球の北極と南極には実は大きな穴があって、その穴からこの「アガルタ」に出入りすることができるようになっているとのこと。

まさかそんなわけがないと思うかも知れませんが、それではなぜグーグルマップなどの衛星写真には南極と北極の写真がきちんと載っていないのか、と考えざるを得ません。

実際、ネットにはこんな画像も出回っています。

img_2

穴の開いた北極の写真です。一応、ネットなどの説明(プロパガンダ?)によると、きちんとした北極の写真データがなく、無理やり衛星写真を貼り合わせた結果、こんな写真が出来てしまったなどと誠しやかに書かれていますが、正直、写真を貼り合わせて、こんな綺麗な円が出来上がるものなのかと疑ってしまいます。

あと、こんな画像も見付かりました。まあ、信じるか信じないかはあなた次第ですけれども。

img_0-2

しかし、このような写真がこの世に出回る以前から、実は地球の内部は空洞になっているのではないかとの説を唱えた科学者はこの世に大勢いました。その中でも特に有名なのが、数学者レオンハルト・オイラー。「オイラーの等式」で有名な人ですね。

彼は18世紀には既にこんな想像図を描いていたそうです。

euler

で、彼もやはり地球の内部に「太陽」があると主張していたそうですが、どうやらこの話、まんざら間違いでもなさそうです。
 、

(転載ここまで)

RAPT | 地底都市アガルタ (シャンバラ) が真の地獄であるという幾つもの証拠。http://rapt-neo.com/?p=24096より転載。)

 

そのため、この建物には何かそれなりに深い意味があるのだろうと想像してしまうわけですが、よく見てみると、この時輪曼荼羅(カーラチャクラ・マンダラ)。何かによく似ていませんか。

そうです。これですね。

img_1

「太陽」とか「光」とか言っているのは、「セントラルサン」と言われる地球内部にある太陽のことを指しているのではないでしょぅか。

で、この空洞の中にある建物は、もしかしたら地底都市「アガルタ」なのかも知れません。つまり、極楽浄土「シャンバラ」のことです。

で、さらによく見てみると、外から二つ目の円の周りには、人間らしきものがいっぱい描かれていますね。ということは、これは地球を表しているのかも知れません。

で、さらによく見てみると、この地球には八つの穴が開いていて、そのうちの四つが地下まで繋がっています。これが地上から「アガルタ」への入り口を表しているのでしょう。

で、もっともっとよく見てみると、中央にある四角形は、まるで地下へと続く通路のようにも見えます。

しかし、ちょっと待ってください。

地球空洞説は1800年以降に出てきた学説であって、この説が本当かどうかも未だに定かではないのです。つまり、現代の科学をもってしても、この説の真偽は分からないわけです。

にもかかわらず、紀元前何百年という時代に生きていた釈迦が、地球空洞説を知っていた、なんてことがあり得るでしょうか。

それとも、地球空洞説というのははやり単なるデマで、地球空洞説を唱えている人はただ「釈迦」の教えをそのままこの世に広めているだけなのでしょうか。

いやいや。そんなことはありません。昨日の記事を読んでもお分かりの通り、一応、地球空洞説には科学的にもそれなりの根拠があるのです。ただのデマではありません。

ということは、「釈迦」はもしや本当に地底都市「シャンバラ」を見たのではないかと、と思ってしまうわけですが、さらにここで重要なのは、この「シャンバラ」を作ったとされる人物(?)のことです。

ブラバッキー女史によると、この「シャンバラ」を作ったのは「サナト・クマーラ」という1850万年前に金星からやって来た賢人であるとのこと。

サナト・クマーラ – Wikipedia

(中略)

----------------

サナット・クマラは偉大な導師、地球の救世主であるとみなされている。主要な宗教には、サナット・クマラを見出す事が出来る。

ヒンドゥー教の第1クマラ
仏教の大黒天
ユダヤ教やキリスト教の日の老いたる者
ゾロアスター教のアフラ・マズダー
スーフィーのムスリムにて知られているアル=ハディル(緑の人)とも見なされている。

----------------

初めて聞くような名前ばかりなので分かりにくい人もあるかも知れませんが、例えばゾロアスター教はまさに悪魔教そのもののカルトと言っても過言ではありません。何しろ、このゾロアスター教から史上最大の悪魔教と言われるミトラ教が誕生しましたから。

で、その悪魔教の神が「アフラ・マズダー」で、この「アフラ・マズダー」と「サナト・クマーラ」が同一ということは、「サナト・クマーラ」は悪魔だと言っているも同然です。

しかも、この「サナト・クマーラ」が「シャンバラ」を作ったということは、「シャンバラ」は地獄に他ならないという証拠です。

私がシャンバラ(アガルタ)のことを地獄であると判断した理由がまさにここにあります。

にもかかわらず、「天皇派」の面々はこの「アガルタ」や「シャンバラ」のことを人類にとっての理想郷であると言って、アニメやら映画やらを通して大々的に宣伝しているわけです。

(転載ここまで)

 

 ナチスとチベットと緑龍会との関係について。そこには地底都市シャンバラの存在がありました。http://rapt-neo.com/?p=24017

アカシックレコードとは、悪魔からの情報の宝庫という事でしょうか。関わらない方が良さそうです。

「イエス」は彼の名前ではなくて、イーサーというのが彼の名前です。イーサーというのをいわゆるアングロサクソン系の言語で表現したときに、ジーザスになった。

—のだそうです。以下はイエス・キリストの名前について検索した結果。
Wikipediaより転載)

イエス・キリスト(紀元前6年から紀元前4年頃 – 紀元後30年頃[1]、ギリシア語: Ίησοῦς Χριστός[2]、ヘブライ語: יְהוֹשֻׁעַ/יֵשׁוּעַ הַמָּשִׁיחַ‎, ‎Yĕhôshúʿa/Yēšūă‘ Hammāšîaḥ)は、ギリシア語で「キリストであるイエス」、または「イエスはキリストである」という意味である。すなわち、キリスト教においてはナザレのイエスをイエス・キリストと呼んでいるが、この呼称自体にイエスがキリストであるとの信仰内容が示されている。イエスの存在についてはフラウィウス・ヨセフス(1世紀)、タキトゥス(1世紀)、スエトニウス(1世紀)などの歴史家がその著作の中で言及している。

本項では、ナザレのイエスについてのキリスト教における観点とその他について述べる。

日本正教会では中世以降のギリシャ語と教会スラヴ語に由来する転写により「イイスス・ハリストス」と呼ばれる。

かつてのカトリック教会では、イエスは「イエズス」と日本語で表記されていたが、現在では用いられない。

 

概要

「イエス」は人名。ヘブライ語からギリシャ語に転写されたもの(ギリシア語: Ίησοῦς, Iēsūs…古典ギリシア語再建音ではイエースース、現代ギリシア語からの転写例はイイスス)。「ヤハウェ(神)は救い」「救う者」を意味する。

 

語義と指示内容

イエス

イエスは、「イエースース(Ίησοῦς, Iēsūs、古典ギリシア語再建音)」の慣用的日本語表記である。現代ギリシア語では「イイスス」となる。

元の語は、アラム語のイェーシューア(ישוע, Yeshua)=ヘブライ語のヨシュア(イェホーシューア、יְהוֹשֻׁעַ, Yehoshua)で、「ヤハウェの救い」「ヤハウェは救い」「救う者」を意味する。『旧約聖書』の「民数記」や「ヨシュア記」に登場するユダヤ人の指導者ヨシュア等と同名である。

 

中世以降から現代までのギリシャ語からは「イイスス」と転写し得る。日本正教会がもちいる「イイスス (Iisus)」は、Ίησοῦς の中世ギリシア語・現代ギリシャ語に由来する転写(中世・現代のギリシャ語では”η“は”ι“と同じとなり「イ」と読む)である。正教古儀式派では、”Исус“(イスス)という、東スラヴ地域でかつて伝統的だった呼称を現在も用いている。

かつての日本のカトリック教会ではロマンス語の発音からイエズスという語を用いていたが、現在ではエキュメニズムの流れに沿ってイエスに統一されている。戦国時代から江戸時代初期にかけてのキリシタンは、ポルトガル語の発音からゼズまたはゼズスと呼んでいた。

アラビア語からは「イーサー」と転写し得る。

 

キリスト

キリストとは、古典ギリシア語「クリストス(Χριστός, Khristos)」の慣用的日本語表記である。「クリストス」は「膏(油)を注がれた者」を意味するヘブライ語「メシア(マーシアハ、מָׁשִיַח, Māšîªḥ)」の訳語であり、旧約聖書中の預言者たちが登場を予言した救世主を意味する。日本正教会では現代ギリシア語および教会スラヴ語から、「ハリストス」と転写する。

この意味で、「キリスト」は固有名詞ではなく称号である。

イエス・キリスト

「イエス・キリスト」はギリシャ語で主格を並べた同格表現であって、「キリストであるイエス」「イエスはキリストである」の意味である。マタイ伝・マルコ伝はそれぞれの冒頭で「ダビデの子イエス・キリスト」「神の子イエス・キリスト」と呼び表しており、この結合表現は新約の他の文書でも用いられている。パウロ書簡には「イエス・キリスト」とならんで「キリスト・イエス」の表現も見られるが、紀元1~2世紀の間に「イエス・キリスト」の方が定着していった。

「キリスト」は救い主への称号であったため、キリスト教の最初期においては、イエスを「イエス・キリスト」と呼ぶことは「イエスがキリストであることを信じる」という信仰告白そのものであったと考えられる。

しかしキリスト教の歴史の早い段階において、「キリスト」が称号としてではなくイエスを指す固有名詞であるかのように扱われはじめたことも確かであり、パウロ書簡においてすでに「キリスト」が固有名詞として扱われているという説もある

(転載ここまで)

 

「イーサー」がイエス・キリストの本当の名前であるという記述は見つかりません。

 

Jesus

 

マタイによる福音書第1章18節~25節

イ エ ス ・ キ リ ス ト の 誕 生

1 8 イ エ ス ・ キ リ ス ト の 誕 生 の 次 第 は 次 の よ う で あ っ た 。 母 マ リ ア は ヨ セ フ と 婚 約 し て い た が 、 二 人 が 一 緒 に な る 前 に 、 聖 霊 に よ っ て 身 ご も っ て い る こ と が 明 ら か に な っ た 。 1 9 夫 ヨ セ フ は正 し い 人 で あ っ た の で 、 マ リ ア の こ と を 表 ざ た に す る の を 望 ま ず 、 ひ そ か に 縁 を 切 ろ う と 決 心 し た 。 2 0 こ の よ う に 考 え て い る と 、 主 の 天 使 が 夢 に 現 れ て 言 っ た 。 「 ダ ビ デ の 子 ヨ セ フ 、 恐 れ ず 妻 マ リ ア を 迎 え 入 れ な さ い 。 マ リ ア の 胎 の 子 は 聖 霊 に よ っ て 宿 っ た の で あ る 。 2 1 マ リ ア は 男 の 子 を 産 む 。 そ の 子 を イ エ ス と 名 付 け な さ い 。 こ の 子 は 自 分 の 民 を 罪 か ら 救 う か ら で あ る 。 」 2 2 こ の す べ て の こ と が 起 こ っ た の は 、 主 が 預 言 者 を 通 し て 言 わ れ て い た こ と が 実 現 す る た め で あ っ た 。 2 3 「 見 よ 、 お と め が 身 ご も っ て 男 の 子 を 産 む 。 そ の 名 は イ ン マ ヌ エ ル と 呼 ば れ る 。 」 こ の 名 は 、 「 神 は 我 々 と 共 に お ら れ る 」 と い う 意 味 で あ る 。 2 4 ヨ セ フ は 眠 り か ら 覚 め る と 、 主 の 天 使 が 命 じ た と お り 、 妻 を 迎 え 入 れ 、

2 5 男 の 子 が 生 ま れ る ま で マ リ ア と 関 係 す る こ と は な か っ た 。 そ し て 、 そ の 子 を イ エ ス と 名 付 け た 。

「受胎告知 絵画」の画像検索結果

 

イエス・キリストはユダヤ人で独身です。マグダラのマリアは奥さんではありません。マグダラのマリアがイエスの先生という事はあり得ません。

 

ヨハネによる福音書第8章1節~11節

わ た し も あ な た を 罪 に 定 め な い

1 イ エ ス は オ リ ー ブ 山 へ 行 か れ た 。 2 朝 早 く 、 再 び 神 殿 の 境 内 に 入 ら れ る と 、 民 衆 が 皆 、 御 自 分 の と こ ろ に や っ て 来 た の で 、 座 っ て 教 え 始 め ら れ た 。 3 そ こ へ 、 律 法 学 者 た ち や フ ァ リ サ イ 派 の 人 々 が 、 姦 通 の 現 場 で 捕 ら え ら れ た 女 を 連 れ て 来 て 、 真 ん 中 に 立 た せ 、 4 イ エ ス に 言 っ た 。

「 先 生 、 こ の 女 は 姦 通 を し て い る と き に 捕 ま り ま し た 。 5 こ う い う 女 は 石 で 打 ち 殺 せ と 、 モ ー セ は 律 法 の 中 で 命 じ て い ま す 。 と こ ろ で 、 あ な た は ど う お 考 え に な り ま す か 。 」 6 イ エ ス を 試 し て 、 訴 え る 口 実 を 得 る た め に 、 こ う 言 っ た の で あ る 。 イ エ ス は か が み 込 み 、 指 で 地 面 に 何 か 書 き 始 め ら れ た 。

7 し か し 、 彼 ら が し つ こ く 問 い 続 け る の で 、 イ エ ス は 身 を 起 こ し て 言 わ れ た 。 「 あ な た た ち の 中 で 罪 を 犯 し た こ と の な い者 が 、 ま ず 、 こ の 女 に 石 を 投 げ な さ い 。 」 8 そ し て ま た 、 身 を か が め て 地 面 に 書 き 続 け ら れ た 。 9 こ れ を 聞 い た 者 は 、 年 長 者 か ら 始 ま っ て 、 一 人 ま た 一 人 と 、 立 ち 去 っ て し ま い 、 イ エ ス ひ と り と 、 真 ん 中 に い た 女 が 残 っ た 。

1 0 イ エ ス は 、 身 を 起 こ し て 言 わ れ た 。 「 婦 人 よ 、 あ の 人 た ち は ど こ に い る の か 。 だ れ も あ な た を 罪 に 定 め な か っ た の か 。 」 1 1 女 が 、 「 主 よ 、 だ れ も 」 と 言 う と 、 イ エ ス は 言 わ れ た 。 「 わ た し も あ な た を 罪 に 定 め な い 。 行 き な さ い 。 こ れ か ら は 、 も う 罪 を 犯 し て は な ら な い 。 」

 

「マグダラのマリア 聖書」の画像検索結果

ヨハネによる福音書第12章第1節~第8節

ベ タ ニ ア で 香 油 を 注 が れ る

1 過 越 祭 の 六 日 前 に 、 イ エ ス は ベ タ ニ ア に 行 か れ た 。 そ こ に は 、 イ エ ス が 死 者 の 中 か ら よ み が え ら せ た ラ ザ ロ が い た 。 2 イ エ ス の た め に そ こ で 夕 食 が 用 意 さ れ 、 マ ル タ は 給 仕 を し て い た 。 ラ ザ ロ は 、 イ エ ス と 共 に 食 事 の 席 に 着 い た 人 々 の 中 に い た 。 3 そ の と き 、 マ リ ア が 純 粋 で 非 常 に 高 価 な ナ ル ド の 香 油 を 一 リ ト ラ 持 っ て 来 て 、 イ エ ス の 足 に 塗 り 、 自 分 の 髪 で そ の 足 を ぬ ぐ っ た 。 家 は 香 油 の 香 り で い っ ぱ い に な っ た 。

4 弟 子 の 一 人 で 、 後 に イ エ ス を 裏 切 る イ ス カ リ オ テ の ユ ダ が 言 っ た 。 5 「 な ぜ 、 こ の香 油 を 三 百 デ ナ リ オ ン で 売 っ て 、 貧 し い 人 々 に 施 さ な か っ た の か 。 」 6 彼 が こ う 言 っ た の は 、 貧 し い 人 々 の こ と を 心 に か け て い た か ら で は な い 。 彼 は 盗 人 で あ っ て 、 金 入 れ を 預 か っ て い な が ら 、 そ の 中 身 を ご ま か し て い た か ら で あ る 。

7 イ エ ス は 言 わ れ た 。 「 こ の 人 の す る ま ま に さ せ て お き な さ い 。 わ た し の 葬 り の 日 の た め に 、 そ れ を 取 っ て 置 い た の だ か ら 。 8 貧 し い 人 々 は い つ も あ な た が た と 一 緒 に い る が 、 わ た し は い つ も 一 緒 に い る わ け で は な い 。 」

 

ヨハネによる福音書第20章 11節~18節

イ エ ス 、 マ グ ダ ラ の マ リ ア に 現 れ る

1 1 マ リ ア は 墓 の 外 に 立 っ て 泣 い て い た 。 泣 き な が ら 身 を か が めて 墓 の 中 を 見 る と 、 1 2 イ エ ス の 遺 体 の 置 い て あ っ た 所 に 、 白 い 衣 を 着 た 二 人 の 天 使 が 見 え た 。 一 人 は 頭 の 方 に 、 も う 一 人 は 足 の 方 に 座 っ て い た 。 1 3 天 使 た ち が 、 「 婦 人 よ 、 な ぜ 泣 い て い る の か 」 と 言 う と 、 マ リ ア は 言 っ た 。 「 わ た し の 主 が 取 り 去 ら れ ま し た 。 ど こ に 置 か れ て い る の か 、 わ た し に は 分 か り ま せ ん 。 」 1 4 こ う 言 い な が ら 後 ろ を 振 り 向 く と 、 イ エ ス の 立 っ て お ら れ る の が 見 え た 。 し か し 、 そ れ が イ エ ス だ と は 分 か ら な か っ た 。 1 5 イ エ ス は 言 わ れ た 。 「 婦 人 よ 、 な ぜ 泣 い て い る の か 。 だ れ を 捜 し て い る の か 。 」 マ リ ア は 、 園 丁 だ と 思 っ て 言 っ た 。 「 あ な た が あ の 方 を 運 び 去 っ た の で し た ら 、 ど こ に 置 い た の か 教 え て く だ さ い 。 わ た し が 、 あ の 方 を 引 き 取 り ま す 。 」 1 6 イ エ ス が 、 「 マ リ ア 」 と 言 わ れ る と 、 彼 女 は 振 り 向 い て 、 ヘ ブ ラ イ 語 で 、 「 ラ ボ ニ 」と 言 っ た 。 「 先 生 」 と い う 意 味 で あ る 。 1 7 イ エ ス は 言 わ れ た 。 「 わ た し に す が り つ く の は よ し な さ い 。 ま だ 父 の も と へ 上 っ て い な い の だ か ら 。 わ た し の 兄 弟 た ち の と こ ろ へ 行 っ て 、 こ う 言 い な さ い 。 『 わ た し の 父 で あ り 、 あ な た が た の 父 で あ る 方 、 ま た 、 わ た し の 神 で あ り 、 あ な た が た の 神 で あ る 方 の と こ ろ へ わ た し は 上 る 』 と 。 」 1 8 マ グ ダ ラ の マ リ ア は 弟 子 た ち の と こ ろ へ 行 っ て 、 「 わ た し は 主 を 見 ま し た 」 と 告 げ 、 ま た 、 主 か ら 言 わ れ た こ と を 伝 え た 。

 

マタイによる福音書第23章1節~12節

1 そ れ か ら 、 イ エ ス は 群 衆 と 弟 子 た ち に お 話 し に な っ た 。 2 「 律 法 学 者 た ち や フ ァ リ サ イ 派 の 人 々 は 、 モ ー セ の 座 に 着 い て い る 。 3 だ か ら 、 彼 ら が 言 う こ と は 、 す べ て 行 い 、 ま た 守 り な さ い 。 し か し 、 彼 ら の 行 い は 、 見 倣 っ て は な ら な い 。 言 う だ け で 、 実 行 し な い か ら で あ る 。 4 彼 ら は 背 負 い き れ な い 重 荷 を ま と め 、 人 の 肩 に 載 せ る が 、 自 分 で は そ れ を 動 か す た め に 、 指 一 本 貸 そ う と も し な い 。 5 そ の す る こ と は 、 す べ て 人 に 見 せ る た め で あ る 。 聖 句 の 入 っ た 小 箱 を 大 き く し た り 、 衣 服 の 房 を 長 く し た り す る 。 6 宴 会 で は 上 座 、 会 堂 で は 上 席 に 座 る こ と を 好 み 、 7 ま た 、広 場 で 挨 拶 さ れ た り 、 『 先 生 』 と 呼 ば れ た り す る こ と を 好 む 。 8 だ が 、 あ な た が た は 『 先 生 』 と 呼 ば れ て は な ら な い 。 あ な た が た の 師 は 一 人 だ け で 、 あ と は 皆 兄 弟 な の だ 。 9 ま た 、 地 上 の 者 を 『 父 』 と 呼 ん で は な ら な い 。 あ な た が た の 父 は 天 の 父 お ひ と り だ け だ 。 1 0 『 教 師 』 と 呼 ば れ て も い け な い 。 あ な た が た の 教 師 は キ リ ス ト 一 人 だ け で あ る 。 1 1 あ な た が た の う ち で い ち ば ん 偉 い 人 は 、 仕 え る 者 に な り な さ い 。 1 2 だ れ で も 高 ぶ る 者 は 低 く さ れ 、 へ り く だ る 者 は 高 め ら れ る 。

 

イエスの母、マリアがキリストと言っているのも根拠がありません・・・・・。

 

「それから、イエスのお母さんのマリアは、ユダヤ人の女性という形で記録されました。イエスのエネルギーがマリアのお腹の中に入るためには、マリア自身がすでにそのときに、いわゆる「キリスト」でなければならなかったんです。そうでないと、イエス・キリストのような存在のエネルギーをお腹の中で育てることはできなかった。でも、マリアが「キリスト」だという事は書かれていません。そうだったら、大問題になるからです。」

 

イエスはキリストではなく、マリアがキリストなのだけど、男性優位のホモセクシャルの社会だったから、それを認めることは許されなかったのだそうです。

どこにマリアがキリストだという証拠があるのでしょうか。それらは気の毒なことに全て抹消されてしまったと主張するのかも知れません。

 

 フリーメーソンのマークは1万年以上も前から存在した。「ホルスの目」に隠された悪魔の真相。http://rapt-neo.com/?p=11809より転載。

 

フリーメーソンだけでなく、バチカンも悪魔崇拝者に完全に乗っ取られています。今やカトリックはキリストを信じる教団などではありません。完全な悪魔崇拝のための教団です。それはこのブログでも何度も書いてきたことです。

本来、キリスト教では偶像を拝むことは禁止されていますが、バチカンおよびカトリックの教会に行けば、どこにでもイエス・キリストや聖母マリアの偶像が飾られ、人々がそれを拝むようになっています。これは明らかに聖書の教えに反しています。

聖母マリアを拝むこと自体もキリスト教の教理に反しています。聖母マリアはただイエス・キリストを生んだ母親であり、特にキリストに対して敬虔な信仰を持っていたわけでもありません。むしろ、自分の息子がメシアであることすら信じていなかった節があります。

確かにキリストの母親なのですから、尊敬すべき対象ではあるのかも知れませんが、決して崇拝したり信仰したりするような対象ではないはずなのです。現にプロテスタントでは、聖母マリアを信仰するようなことは決してありません。

にもかかわらず、カトリックでは当たり前のように聖母マリアのことを拝ませています。恐らく悪魔崇拝者たちは、神でもないものを神として拝ませることで、キリスト教の信仰を根本的に破壊しようと企んできたのでしょう。

(転載ここまで)

迫害に遭いながら、キリスト教を宣べ伝えようと宣教の旅に忙しいパウロが、彼が殺害されて亡くなるまでの間に、聖書の福音書を全て書いたのですか。そうですか。そんなわけないでしょう。

しかもその福音書の内容は、「本当にすばらしいけれども、結局は創作だから」と仰る。

 

カトリックの神父が結婚できないのは「福音書を全部書いた、完全にホモセクシャルのパウロ」の取り決めのせいだそうです。

 

Yahoo!知恵袋より転載)

なぜ牧師は結婚OKだけど神父はダメなんですか?

簡潔にお答えします。

>なぜ牧師は結婚OKだけど神父はダメなんですか?
まず、神父(=司祭)が結婚ダメなのは所属するローマ・カトリック教会にそのような決まりごとがあるからです。その由来はイエスや使徒パウロが独身であり、特にパウロの言葉の中に独身を勧めるようなものがあることです。また、古代~中世の教会においては性欲に対して聖職になじまない否定的なイメージを持っていたこともあるでしょう。

(転載ここまで)

 

コリントの信徒への手紙第7章1節~11節

結 婚 に つ い て

1 そ ち ら か ら 書 い て よ こ し た こ と に つ い て 言 え ば 、 男 は 女 に 触 れ な い 方 が よ い 。 2 し か し 、 み だ ら な 行 い を 避 け る た め に 、 男 は め い め い 自 分 の 妻 を 持 ち 、 ま た 、 女 は め い め い 自 分 の 夫 を 持 ち な さ い 。 3 夫 は 妻 に 、 そ の 務 め を 果 た し 、 同 様 に 妻 も 夫 に そ の 務 め を 果 た し な さ い 。 4 妻 は 自 分 の 体 を 意 の ま ま に す る 権 利 を 持 た ず 、 夫 が そ れ を 持 っ て い ま す 。 同 じ よ う に 、 夫 も 自 分 の 体 を 意 の ま ま に す る 権 利 を 持 た ず 、 妻 が そ れ を 持 っ て い る の で す 。 5 互 い に 相 手 を 拒 ん で は い け ま せ ん 。 た だ 、 納 得 し あ っ た う え で 、 専 ら 祈 り に 時 を 過 ご す た め に し ば ら く別 れ 、 ま た 一 緒 に な る と い う な ら 話 は 別 で す 。 あ な た が た が 自 分 を 抑 制 す る 力 が な い の に 乗 じ て 、 サ タ ン が 誘 惑 し な い と も か ぎ ら な い か ら で す 。

6 も っ と も 、 わ た し は 、 そ う し て も 差 し 支 え な い と 言 う の で あ っ て 、 そ う し な さ い 、 と 命 じ る つ も り は あ り ま せ ん 。 7 わ た し と し て は 、 皆 が わ た し の よ う に 独 り で い て ほ し い 。 し か し 、 人 は そ れ ぞ れ 神 か ら 賜 物 を い た だ い て い る の で す か ら 、 人 に よ っ て 生 き 方 が 違 い ま す 。

8 未 婚 者 と や も め に 言 い ま す が 、 皆 わ た し の よ う に 独 り で い る の が よ い で し ょ う 。 9 し か し 、 自 分 を 抑 制 で き な け れ ば 結 婚 し な さ い 。 情 欲 に 身 を 焦 が す よ り は 、 結 婚 し た 方 が ま し だ か ら で す 。 1 0 更 に 、 既 婚 者 に 命 じ ま す 。 妻 は 夫 と 別 れ て は い け な い 。 こ う 命 じ る の は 、 わ た し で は な く 、 主 で す 。 1 1 ─ ─ 既 に 別 れて し ま っ た の な ら 、 再 婚 せ ず に い る か 、 夫 の も と に 帰 り な さ い 。 ─ ─ ま た 、 夫 は 妻 を 離 縁 し て は い け な い 。

 

コリントの信徒への手紙第7章25節~40節

未 婚 の 人 た ち と や も め

2 5 未 婚 の 人 た ち に つ い て 、 わ た し は 主 の 指 示 を 受 け て は い ま せん が 、 主 の 憐 れ み に よ り 信 任 を 得 て い る 者 と し て 、 意 見 を 述 べ ま す 。 2 6 今 危 機 が 迫 っ て い る 状 態 に あ る の で 、 こ う す る の が よ い と わ た し は 考 え ま す 。

つ ま り 、 人 は 現 状 に と ど ま っ て い る の が よ い の で す 。 2 7 妻 と 結 ば れ て い る な ら 、 そ の つ な が り を 解 こ う と せ ず 、 妻 と 結 ば れ て い な い な ら 妻 を 求 め て は い け な い 。 2 8 し か し 、 あ な た が 、 結 婚 し て も 、 罪 を 犯 す わ け で は な く 、 未 婚 の 女 が 結 婚 し て も 、 罪 を 犯 し た わ け で は あ り ま せ ん 。 た だ 、 結 婚 す る 人 た ち は そ の 身 に 苦 労 を 負 う こ と に な る で し ょ う 。 わ た し は 、 あ な た が た に そ の よ う な 苦 労 を さ せ た く な い の で す 。

2 9 兄 弟 た ち 、 わ た し は こ う 言 い た い 。 定 め ら れ た 時 は 迫 っ て い ま す 。 今 か ら は 、 妻 の あ る 人 は な い 人 の よ う に 、 3 0 泣 く 人 は 泣 か な い 人 の よ う に 、 喜 ぶ 人 は 喜 ば な い 人 の よ う に 、 物 を 買 う人 は 持 た な い 人 の よ う に 、 3 1 世 の 事 に か か わ っ て い る 人 は 、 か か わ り の な い 人 の よ う に す べ き で す 。 こ の 世 の 有 様 は 過 ぎ 去 る か ら で す 。

3 2 思 い 煩 わ な い で ほ し い 。 独 身 の 男 は 、 ど う す れ ば 主 に 喜 ば れ る か と 、 主 の こ と に 心 を 遣 い ま す が 、 3 3 結 婚 し て い る 男 は 、 ど う す れ ば 妻 に 喜 ば れ る か と 、 世 の 事 に 心 を 遣 い 、 3 4 心 が 二 つ に 分 か れ て し ま い ま す 。 独 身 の 女 や 未 婚 の 女 は 、 体 も 霊 も 聖 な る 者 に な ろ う と し て 、 主 の こ と に 心 を 遣 い ま す が 、 結 婚 し て い る 女 は 、 ど う す れ ば 夫 に 喜 ば れ る か と 、 世 の 事 に 心 を 遣 い ま す 。 3 5 こ の よ う に わ た し が 言 う の は 、 あ な た が た の た め を 思 っ て の こ と で 、 決 し て あ な た が た を 束 縛 す る た め で は な く 、 品 位 の あ る 生 活 を さ せ て 、 ひ た す ら 主 に 仕 え さ せ る た め な の で す 。

3 6 も し 、 あ る 人 が 自 分 の 相 手 で あ る 娘 に 対 し て 、 情 熱 が 強 く な り 、 そ の 誓 い に ふ さ わ し く な い ふ る ま い を し か ね な い と 感 じ 、 そ れ 以 上 自 分 を 抑 制 で き な い と 思 う な ら 、 思 い ど お り に し な さ い 。 罪 を 犯 す こ と に は な り ま せ ん 。 二 人 は 結 婚 し な さ い 。 3 7 し か し 、 心 に し っ か り し た 信 念 を 持 ち 、 無 理 に 思 い を 抑 え つ け た り せ ず に 、 相 手 の 娘 を そ の ま ま に し て お こ う と 決 心 し た 人 は 、 そ う し た ら よ い で し ょ う 。

3 8 要 す る に 、 相 手 の 娘 と 結 婚 す る 人 は そ れ で 差 し 支 え あ り ま せ ん が 、 結 婚 し な い 人 の 方 が よ い の で す 。 3 9 妻 は 夫 が 生 き て い る 間 は 夫 に 結 ば れ て い ま す が 、 夫 が 死 ね ば 、 望 む 人 と 再 婚 し て も か ま い ま せ ん 。 た だ し 、 相 手 は 主 に 結 ば れ て い る 者 に 限 り ま す 。 4 0 し か し 、 わ た し の 考 え に よ れば 、 そ の ま ま で い る 方 が ず っ と 幸 福 で す 。 わ た し も 神 の 霊 を 受 け て い る と 思 い ま す 。

 

パウロがホモセクシャルで福音書を全部書いた人だから、カトリックの神父は結婚をしないようにと(まるで強制的に)ルールを決めたなどと言う話は、ゲリー・ボーネル氏だけが語る出鱈目と思われます。

 

RAPT|キリスト教は悪魔崇拝者によって内部から破壊された。その歴史の詳細について。http://rapt-neo.com/?p=9309より転載)

 

イルミナティや悪魔崇拝についてネット上に出回っている記事を読んでみると、キリスト教そのものが悪魔崇拝の宗教であるかのように書かれてある記事にときどき出くわします。

日本人の多くがキリスト教の知識を余り持っていないので、このような誤解をしてしまうのも無理のないことなのかも知れませんが、もしかしたらそのような記事を書いている人の中には、キリスト教を破壊することを目的とした工作員が紛れ込んでいるのかも知れません。

キリスト教はもともとイスラエルという小国で興った宗教で、その始祖はイエス・キリストです。キリストが他界した時点ではまだ余り規模は大きくありませんでしたが、その後、使徒パウロがローマで宣教活動を始めたことによって、多くの信者が増え、やがてローマではキリスト教が国教化されるまでに至りました。

ここからローマ・カトリックなるものが始まったわけですが、悪魔崇拝者たちはこの巨大化したキリスト教を破壊するため、次々とカトリック教会の中に入り込み、キリスト教に入信し、敬虔な振りを装いながら、じわじわと悪魔崇拝的な要素をキリスト教の中に紛れ込ませていきました。

例えば、イエス・キリストの誕生日は12月25日とされていますが、そんな記述は聖書のどこにもありません。この日は実はミトラ教の神ミトラスの誕生日であり、その日をキリストの日だと勝手に制定することで、キリスト教徒にミトラスの生誕を祝わせるようにしたのです。(ちなみに、ミトラ教というのは今日では悪魔崇拝の要素が強い宗教として定義されています。)

このように悪魔崇拝者たちはローマ・カトリックの教理の中に次々とミトラ教的な教理を植え付けていきました。当時はまだローマ人たちの多くが言葉の読み書きができず、印刷技術もなかったため、実際に聖書の全文を読んだ信者などほとんどいませんでしたので、悪魔崇拝者たちはいとも簡単に悪魔崇拝の教理をキリスト教の教理の中に忍び込ませることができたのです。

ルネサンスにおいても、この手法は同じように用いられました。ルネサンスというと、非常に華々しいイメージがありますが、実際のところは悪魔崇拝者によるキリスト教の破壊活動に過ぎません。神を信じるのではなく、あくまで人間自身の力を信じよ、という一見耳障りのいい話をして、人々から敬虔な信仰心を奪い取り、悪魔の支配下に陥れることが目的だったのです。

当時のキリスト教は非常に強権的で、誰かがキリストを信じなかったり、敬虔でなかったりすると、非常に厳しく弾圧していました。しかし、キリスト教をそのような宗教に変質させたのも、実はすべて教会の中に侵入した悪魔崇拝者によるものです。彼らはキリスト教の教理に悪魔教的な要素を混ぜ入れ、人々が神とキリストを信じず、むしろ憎み嫌うように仕向けていったのです。

このようにして、彼らはキリスト教は悪なる宗教であるというイメージを人々の頭に植え付けておいて、人々の心から信仰心が消えかけたところで、ルネサンスなるものを立ち上げ、人々をキリスト教の世界から完全に追い出すことに成功したのです。
(中略)

しかし、現代ではこのプロテスタントもまたカトリックと同様、悪魔崇拝者たちに破壊されているというのが現実でしょう。現在のプロテスタント教会もその多くが腐敗しています。そうではない教会もありますが、世界的に見たときには、現在のキリスト教にはもはや人を精神的に救う力などなきに等しいといっていいかも知れません。

また、カトリックの腐敗も決してその後も留まることはなく、このブログでも何度も書いてきた通り、実はバチカンは悪魔崇拝の拠点だったということが明らかになりました。ここまでキリスト教が腐敗してしまうと、キリスト教について余り知識のない人によっては、キリスト教は悪魔崇拝の宗教だという風に見えるかも知れませんし、そう見てしまうのが当然というものです。ですから、キリスト教は悪魔崇拝の宗教だと極端な主張をする人が現れるのでしょうが、その見解は実際のところかなりの誤謬があります。正直なところ、敬虔なクリスチャンに対してとても失礼な発言だと思います。

(転載ここまで)

 

関連画像
5万人もの幼児を虐殺したかどで逮捕状が出された前ローマ法王。悪魔そのもの。

 

ゲリー・ボーネル氏はその他にも「グリーンレイで読める太古のディスクが発見され、人々は真実の歴史を知るようになる」、「エイリアンが人間の遺伝子操作をしたんです」と語り、「惑星ウンモ」から来た地球外生命体ユミット(=ウンモ星人)の存在についても語り、更に「いろいろなテクノロジーを宇宙人から手紙で受けとった人がたくさんいる」等(ある意味面白いですが)様々なインチキを語っています。

「十戒の箱は、地球外生命体とのコミュニケーションの手段」、「モーセがシナイ山に登って、エイリアンたちとともに時間をすごし、1万年のシナリオを見せられた」等、聖書の内容をも捻じ曲げています。罰当たりだと思います。

 

「そこで、彼は法律をつくった。十戒として残っているものですけれども、本当は3つの法律しかありませんでした。

  1. 誰も何も傷つけてはいけない(これは自分自身も含みます)。Cause no harm.
  2. ほかの人に対して力を行使してはいけない(すなわち、ひとを操作してはいけない)。Have no power over others.
  3. 先祖(血族)を大切にせよ。Honor your bloodline.

という、3点でした。」

 

十戒を作ったのは創造主ヤハウェではなくモーセなのだそうです。創造主ヤハウェから告げられたのではなく、エイリアンに人類の未来を見せてもらった後、3つの法律を作ったのだそうです。誰が信じられるのですか、そんな話。

 

出エジプト記第20章1節~17節

十戒

神はこれらすべての言葉を告げられた。

「私は主、あなたの神、あなたをエジプトの国、奴隷の家から導き出した神である。

あなたは、わたしをおいてほかに神があってはならない。

あなたはいかなる像も造ってはならない。上は天にあり、下は地にあり、また地の下の水の中にある、いかなるものの形も造ってはならない。あなたはそれらに向かってひれ伏したり、それらに仕えたりしてはならない。わたしは主、あなたの神。私は熱情の神である。私を否む者には、父祖の罪を子孫に三代、四代までも問うが、わたしを愛し、わたしの戒めを守る者には、幾千代にも及ぶ慈しみを与える。

あなたの神、主の名をみだりに唱えてはならない。みだりのその名を唱えるものを主は罰せずにはおかれない。

安息日を心に留め、これを聖別せよ。六日の間働いて、何であれあなたの仕事をし、七日目は、あなたの神、主の安息日であるから、いかなる仕事もしてはならない。あなたも、息子も、娘も、男女の奴隷も、家畜も、あなたの町の門の中に寄留する人々も同様である。六日の間に主は天と地と地と海とそこにあるすべてのものを造り、七日目に休まれたから、主は安息日を祝福して聖別されたのである。

あなたの父母を敬え。そうすればあなたは、あなたの神、主が与えられる土地に長く生きる事ができる。

殺してはならない。

姦淫してはならない。

盗んではならない。

隣人に関して偽証してはならない。

隣人の家を欲してはならない。隣人の妻、男女の奴隷、牛、ろばなど隣人のものを一切欲してはならない。」

民全員は、雷鳴がとどろき、稲妻が光り、角笛の音が鳴り響いて、山が煙に包まれる有様を見た。民は見て恐れ、遠く離れて立ち、モーセに行った。「あなたがわたしたちに語ってください。わたしたちは聞きます。神がわたしたちにお語りにならないようにしてください。そうでないと、わたしたちは死んでしまいます。」モーセは民に答えた。「恐れることはない。神が来られたのは、あなたたちを試すためであり、また、あなたたちの前に神を畏れる畏れをおいて、罪を犯させないようにするためである。」民は遠く離れて立ち、モーセだけが神のおられる密雲に近づいて行った。

(聖書 新共同訳)

 

ゲリー・ボーネル氏がそのアカシックレコードだとか言うところからの情報が真実だと言う自信があるなら、世界中の教会でそれらの「 真実 」や「大いなる叡智」を伝えればいいと思います。きっと非難を浴びて追い出され、多くの人に馬鹿にされる恐れがあることと思いますが、皆が探している真実を伝えたいと熱意を持ち、これで皆が救われると本当に信じているのなら、そんな非難もものともせず伝え続ければいいと思います。いえ迷惑だと思います。ゲリー・ボーネル氏もそこまでするつもりなどないのでしょう。

 

(43pより引用)

ボーネル 真実というものが一度開きはじめると、もうだれも押さえつけることはできなくなります。

よしもと 楽しみですね。

ボーネル 人間はだんだん、真実を知りたいと思いはじめているということです。

よしもと そうですね。人間は本来そういうものだと思う。

ボーネル アメリカである調査をしました。その中にこういう質問があったんです。アメリカ人専用の質問なんですけれども、「もしあなたが何でも知ることができるなら、何を知りたいですか」というものです。老いから若き迄、様々な社会の立場の人たちが対象だったのですが、何を知りたいですかという問いに、「 truth(真実)」というのが答えだったんです。

もうみんな、本当に戦争にうんざりしていて、うそをつかれることにも心から飽き飽きしている。真実、信念、両方とも壊されていきます。そして人々は気づくのです。「truth(真実)」を知りたいということに。

(引用ここまで)

 

大嘘です。私がそのようなうそをつかれることに本当にうんざりして、心から飽き飽きしています。

 

宇宙人が遺伝子操作をしていたとか、こんな話を聞いて誰がどんな悩みから救われるのかわかりませんけども。

むしろこのような嘘の話を聞き続けていたら、仰る通りに真実、信念、両方とも壊されていくと思います。その上で「あなたはあなたで在る事だ」などと言われてもわけがわかりません。

 

外部リンク

 UFOが宇宙人ではなく、天皇派の乗り物であるという幾つもの証拠。http://rapt-neo.com/?p=24812

 天皇派が既にUFOを開発しているという確たる証拠。http://rapt-neo.com/?p=24898

スピリチュアル系の先生が有料で1時間も2時間も語るのは以上のような嘘ばかりです。真実ではありません。

ゲリー・ボーネル氏が、誰かの過去について見る事ができて、それが当たっていたとしても、彼が大いなる叡智を持った人というわけでないようです。

おそらく悪魔、悪霊の力によるものだと思われます。地震の予言も然り。(彼はフリーメーソンだったとかないとか言う噂もありましたが、真相は分かりません)

スピリチュアル系は、震災をアセンションのせいだの、不安や恐れのせいだのと様々な原因を述べますが、人工地震という真実を知ることは出来ないようです。

これでも惑星ウンモだとかエイリアンの遺伝子操作がどうのという話などを本気で信じるのでしょうか。信じるならもうご自由にウンモ星人でもUFOでも何でも信じればいいと思います。

地震の予言も信用できるなら信じて備えればいいと思います(人工地震のお仲間なのかと疑いますが)。その予言はもう既に大外れをしているのですけど(ただ不安を煽ったとしか思えません)。

「ゲリー・ボーネル」の画像検索結果

 

RAPT | 「麻生太郎」一族が「関東大震災」「阪神大震災」「東日本大震災」の主犯であると見られる幾つもの証拠。http://rapt-neo.com/?p=42778

 

宇宙人は何度も地球を訪れている等、嘘でもそういう話を聞くのが楽しいのだと思うのであれば、今後もご自由にそのような講演にお金を払って楽しめばよいと思います。最後にどうなろうと、自分の責任でお願いします。

 

 

マタイによる福音書第7章15節~20節

実 に よ っ て 木 を 知 る

1 5 「 偽 預 言 者 を 警 戒 し な さ い 。 彼 ら は 羊 の 皮 を 身 に ま と っ て あ な た が た の と こ ろ に 来 る が 、 そ の 内 側 は 貪 欲 な 狼 で あ る 。 1 6 あ な た が た は 、 そ の 実 で 彼 ら を 見 分 け る 。 茨 か ら ぶ ど う が 、 あ ざ み か ら い ち じ く が 採 れ る だ ろ う か 。 1 7 す べ て 良 い 木 は 良 い 実 を 結 び 、 悪 い 木 は 悪 い 実 を 結 ぶ 。 1 8 良 い 木 が 悪 い 実 を 結 ぶ こ と は な く 、 ま た 、 悪 い 木 が 良 い 実 を 結 ぶ こ と も で き な い 。 1 9 良 い 実 を 結 ば な い 木 は み な 、 切 り 倒 さ れ て 火 に 投 げ 込 ま れ る 。 2 0 こ の よ う に 、 あ な た が た は そ の 実 で 彼 ら を 見 分 け る 。 」

マタイによる福音書第12章22節~32節

ベ ル ゼ ブ ル 論 争

2 2 そ の と き 、 悪 霊 に 取 り つ か れ て 目 が 見 え ず 口 の 利 け な い 人 が 、 イ エ ス の と こ ろ に 連 れ ら れ て 来 て 、 イ エ ス が い や さ れ る と 、 も の が 言 え 、 目 が 見 え る よ う に な っ た 。 2 3 群 衆 は 皆 驚 い て 、 「 こ の 人 は ダ ビ デ の 子 で は な い だ ろ う か 」 と 言 っ た 。 2 4 し か し 、 フ ァ リ サ イ 派 の 人 々 は こ れ を 聞 き 、 「 悪 霊 の 頭 ベ ル ゼ ブ ル の 力 に よ ら な け れ ば 、 こ の 者 は 悪 霊 を 追 い 出 せ は し な い 」 と 言 っ た 。

2 5 イ エ ス は 、 彼 ら の 考 え を 見 抜 い て 言 わ れ た 。 「 ど ん な 国 で も 内 輪 で 争 え ば 、 荒 れ 果 て て し ま い 、 ど ん な 町 で も 家 で も 、 内 輪 で 争 え ば 成 り 立 っ て 行 か な い 。 2 6 サ タ ン が サ タ ン を 追 い 出 せ ば 、 そ れ は 内 輪 も め だ 。 そ ん な ふ う で は 、 ど う し て そ の国 が 成 り 立 っ て 行 く だ ろ う か 。 2 7 わ た し が ベ ル ゼ ブ ル の 力 で 悪 霊 を 追 い 出 す の な ら 、 あ な た た ち の 仲 間 は 何 の 力 で 追 い 出 す の か 。 だ か ら 、 彼 ら 自 身 が あ な た た ち を 裁 く 者 と な る 。 2 8 し か し 、 わ た し が 神 の 霊 で 悪 霊 を 追 い 出 し て い る の で あ れ ば 、 神 の 国 は あ な た た ち の と こ ろ に 来 て い る の だ 。 2 9 ま た 、 ま ず 強 い 人 を 縛 り 上 げ な け れ ば 、 ど う し て そ の 家 に 押 し 入 っ て 、 家 財 道 具 を 奪 い 取 る こ と が で き る だ ろ う か 。 ま ず 縛 っ て か ら 、 そ の 家 を 略 奪 す る も の だ 。 3 0 わ た し に 味 方 し な い 者 は わ た し に 敵 対 し 、 わ た し と 一 緒 に 集 め な い 者 は 散 ら し て い る 。

3 1 だ か ら 、 言 っ て お く 。 人 が 犯 す 罪 や 冒 瀆 は 、 ど ん な も の で も 赦 さ れ る が 、 〝 霊 〟 に 対 す る 冒 瀆 は 赦 さ れ な い 。 3 2 人 の 子 に 言 い 逆 ら う 者 は 赦 さ れ る 。 し か し 、 聖 霊 に 言 い 逆 ら う 者 は 、 こ の 世 で も 後 の 世 で も赦 さ れ る こ と が な い 。 」

 

 

外部リンク

 

RAPT | キリスト教は悪魔崇拝者によって内部から破壊された。その歴史の詳細について。http://rapt-neo.com/?p=9309 

RAPT | キリスト教最大のタブー。イエス・キリストの「肉体」が生き返ったという大嘘。http://rapt-neo.com/?p=26085

 キリスト教最大のタブーその二。聖書に書かれた奇跡はほとんど奇跡ではない。http://rapt-neo.com/?p=26115