スウェーデンボルグの信奉者だったヘレン・ケラー
(加筆修正しました)
目が見えない、聞こえない、言葉を知らないという三重苦でありながらも世界各地を歴訪し、障害者の教育・福祉の発展に尽くした奇跡の人と言われているヘレン・ケラーが、ニューエイジ、オカルトの源泉とされるスウェーデンボルグの信奉者であったようです。
ヘレン・ケラーは、いったい誰が世界の万物を創ったのかを知りたいと思い、神について考えるようになったものの、正しいクリスチャンによって正しい聖書や神の知識を教わるのではなく、異端の本を手渡されて、その教えにすっかり心酔してしまったようです。
ヘレン・ケラーは異端であるスウェーデンボルグの信奉者でありながら、呪いにかかるような不幸もなく生涯を幸せに生きたようですが、聖書に反する教えを広めたり、その教えに従った場合は罪と見なされ、裁きを受ける恐れがあるのだそうです。このようにして神や霊界について知りたいと願う人たちをサタンは誤った方向へ導き、滅びに向かわせます。そのようなオカルトや異端の人物は現代でも蔓延っているようです。
「自分は神に遣わされた人間だ」と主張しながら人々を地獄へ導くオカルト詐欺師や異端が滅びることを願います。
ヘレン・ケラー
ヘレン・アダムス・ケラー(Helen Adams Keller、1880年6月27日 – 1968年6月1日)は、アメリカ合衆国の教育家、社会福祉活動家、著作家である。 視覚と聴覚の重複障害者(盲ろう者)でありながらも世界各地を歴訪し、障害者の教育・福祉の発展に尽くした。
1882年 – 1歳半の時に高熱(現在では猩紅熱と考えられている)に伴う髄膜炎に罹患する。医師と家族の懸命な治療により一命は取り留めたものの、聴力と視力を失い、話すことさえできなくなった。そのため両親からしつけを受けることの出来ない状態となり、非常にわがままに育ってしまう。
1887年(7歳) – ヘレンの両親は聴覚障害児の教育を研究していたアレクサンダー・グラハム・ベル(電話の発明者として知られる)を訪れ、ベルの紹介でマサチューセッツ州ウォータータウンにあるパーキンス盲学校の校長マイケル・アナグノスに手紙を出し、家庭教師の派遣を要請した。3月3日に派遣されてきたのが、同校を優秀な成績で卒業した当時20歳のアン・サリヴァン(通称アニー)であった。サリヴァンは小さい頃から弱視であったため(手術をして当時はすでに視力があった)、自分の経験を活かしてヘレンに「しつけ」「指文字」「言葉」を教えた。おかげでヘレンはあきらめかけていた「話すこと」ができるようになった。サリヴァンはその後約50年に渡りよき教師、そしてよき友人としてヘレンを支えていくことになる。
(転載ここまで)
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「スウェーデンボルグ」の信奉者だったヘレン・ケラー
スウェーデボルグ
(エマーヌエル・スヴェーデンボーリ‐Wikipedia)
エマーヌエル・スヴェーデンボーリ(Emanuel Swedenborg, 1688年1月29日 – 1772年3月29日)はスウェーデン王国出身の科学者・神学者・神秘主義思想家。スヱデンボルグとも。しかし多くはスウェーデンボルグと表記される。生きながら霊界を見て来たと言う霊的体験に基づく大量の著述で知られ、その多くが大英博物館に保管されている。スヴェーデンボリは貴族に叙された後の名。
生涯
父イェスペル・スヴェードバリ(Jesper Swedberg)は、ルーテル教会の牧師であり、スウェーデン語訳の聖書を最初に刊行した人物である。その次男としてストックホルムで生まれる。
11歳のときウプサラ大学入学。22歳で大学卒業後イギリス、フランス、オランダへ遊学。28歳のときカール12世により王立鉱山局の監督官になる。31歳のとき貴族に叙され、スヴェーデンボリと改姓。数々の発明、研究を行ないイギリス、オランダなどへ頻繁にでかける。
1745年、イエス・キリストにかかわる霊的体験が始まり、以後神秘主義的な重要な著作物を当初匿名で、続いて本名で多量に出版した。
ただし、スウェーデン・ルーテル派教会をはじめ、当時のキリスト教会からは異端視され、異端宣告を受ける直前にまで事態は発展するが、王室の庇護により、回避された。神秘主義者への転向はあったものの、その後国会議員にまでなった。
スヴェーデンボリは神学の書籍の発刊をはじめてからしばしばイギリスに滞在した。1771年の夏にロンドンに旅し、その地で翌1772年3月29日に没した。
(転載ここまで)
『ヘレン・ケラー 光の中へ』より転載。
視力を超えた視力
鎌田 東二
「三重苦」を克服した偉人ヘレン・ケラーの名を知らない人はいない。とりわけ、サリヴァン先生の指導の下、初めて「水(ウォーター)」という言葉を体験した時の話は全世界の人々に名状し難い感動を与えた。
そのヘレン・ケラーがスウェーデンボルグの深い信奉者であったことを知る人は少ない。かくいう私も本書を読むまでその事実を知らなかった。本書を読んで私は驚き、考えさせられた。感覚世界の中で目に見えない領分をよく知っている人は、真に見えない超感覚的世界の実在をよく知ることができるのかと。
一般に、スウェーデンボルグは天使とダイレクトに交信した人物として知られている。精神世界に関心をもつもので、神秘家スウェーデンボルグの名を知らない人はいない。だが『天界と地獄』の著者であり。天使と交信したことを知ってはいても、真にスウェーデンボルグの体験と思想と実践を知る者は少ない。
(中略)
ヘレンケラーがスウェーデンボルグを「知る」プロセスは、彼女が「水」を知るプロセスと同じくらい感動的だ。そしてそれは、人間と世界について深い洞察と光明を与えてくれる。ヘレン・ケラーは本書の最後の方でこう記している。「私は、私の魂が霊の光の仲に立ち『生と死はひとつのものだ』と叫ぶまで、確固とした思想をもってあらゆる視力を超えた視力につき従ってゆきます」、「大多数の人々にとって霊的な事象が漠然としていて遠いものであるのと同じように、障害をもつ私の感覚にとっては、自然界のほとんどすべての事象が漠然としていて遠いのです。私はスウェーデンボルグの教えを記載した展示の大著に手を深くさしこみ、霊界の秘密がつまったその教えを引き出します。内的感覚は―お望みなら〝神秘的〟感覚と呼んでもいいのですが―見えざるもののヴィジョンを私に与えてくれます。」
ここでヘレン・ケラーが言う「あらゆる視力を超えた視力」「内的感覚=神秘的感覚」とは、目に見えない世界すなわち霊的世界を知覚する「視力」であり「感覚」である。スウェーデンボルグもヘレン・ケラーもともにこの「あらゆる視力を超えた視力」をもって「天界」を視たのである。そして同時に「天界」を視る「視力」を持って人間世界を視たのだ。
するとそこでは、人間は肉体を持つ一戸の存在であるばかりか、肉体と知性と霊という『三重の層』から出来ている存在で、その本質に「神秘的人間」もしくは「神性」を宿した存在に視えてくる。「人が肉体で感じ取るあらゆる形というものは心象へと還元され、その心象は霊魂によって生命と意味を与えられる」。そすれば、世界は感覚と知性と霊の三重の了解の統合としてその人の前に立ち現れるのである。
『ヘレン・ケラー 光の中へ』
25p~26p
一七四四年ごろ、スウェーデボルグに一大転機が訪れました。自然現象の鋭い観察者であり、心的事象の分析家でもある彼に、さらに霊的事象の観察力が天から賦与されたのです。つまり、霊界のリアリティを感得する彼の霊的感覚が活性化されたのです。彼と同時代のロブサムは、スウェーデンボルグとの対話を記していますが、その中で彼はスウェーデンボルグにこう訊ねています。
「天界や地獄などの霊界で起こることを視たり聞いたりできる能力を授かったのは、いつ、どのようにしてですか?」
スウェーデンボルグは、夜中にある方が訪ねてこられたのだと答えました。
「その方は主なる神であり、世界の創造者であり、救い主であって、聖書の霊的意味を人々に解説するために私を選ばれたのであり、その主題をどう記述すべきかについてはその方ご自身が私に説明しようと言ってくださったのです。そして私は、さまざまな生活状況にある多くの知人たちがそこにいるのを確認しました。その日以来、私はこの世界的な科学の研究をすべて投げ出し、霊的事象を主の命に従って描写することに従事したのです。主は毎日ひんぱんに私の霊眼をお開きにたったので、真昼でも他界をのぞくことができ、完全に目覚めた状態でも天使や霊たちと会話できるようになりました。」
一七六六年九月に、スウェーデンボルグは C.F エティンガーに次のように書き送っています。「主ご自身が私に顕現されたのです。私に、私が今していることをさせるために、主は私をお遣わしになりました。」
(転載ここまで)
「スウェーデンボルグは天使とダイレクトに交信した人物として知られている。」とのことですが、
天使は神(創造主ヤハウェ)の御使いのことをであり、天使たちは神の御心を行う(或いは御心にかなった願いを叶えるために助けたり義人を守る働きをする)ために存在しており、それ以外に余計な行動を起こすことはないのだそうです。その天使が、清らかとは言えない詐欺師のような人物に語りかけたり、聖書とは違う事を語ったりしているならそれは偽物の天使であり、サタンに遣わされた悪霊の疑いがあります。
よくスピリチュアル系などでは、「恋愛でも仕事でもお金でも、どんな些細な悩みでも天使は喜んで助けてくれます」等と教えているようです。クリスチャンでもないのに「自分は天使からメッセージを受けている」と主張する人があちこちで存在しているようですが、それらも全て偽物だと考えて間違いはありません。
この世ではスウェーデボルグのように、自分は神に遣わされた人間であると主張し、嘘の教えを広めようとするオカルトの詐欺師が数多く存在します。
「私は、スウェーデンボルグの『霊界記録』を読むことによって、本当の信仰に目覚めました」(ヘレン・ケラー)
コリントの信徒への手紙2 11
『ヘレン・ケラー 光の中へ』
37p~41pより抜粋。
十八世紀スウェーデンの、この偉大な預言者の著作に私が初めて触れたのは、今からおよそ三〇年もの前のことです。そのときの印象を述べるには、私が当初、神についてどのような疑問を抱いていたか、という事から始めなければ意味がないかもしれません。
私は、幼い子供としては当然のことかもしれませんが、いったいだれが世界の万物を創ったのかを知りたいと思いました。そして、天や地やあらゆる生き物は、自然(人々はそれを〝母なる自然〟と呼んでいました)が創ったものだと教えられました。しばらくのあいだは、私もその説明で納得していました。母の庭のバラのあいだで、川の岸辺で、野菊が咲き乱れる原っぱで、私は(サリヴァン)先生から花や種、小鳥や昆虫、小川の魚などについて本当の「アラビアン・ナイト」をきかせてもらい、幸せでした。ほかの子供たちと同じように私も、手で触れるものはみんな生きていて、それぞれ自分の意識を持っているものだと信じていました。
(中略)
野原や森の中にあるものには、私を困惑させるような整然とした秩序とつながりがあり、また同時に、それらの要素にはしばしば私を脅かすような、ある種の混沌もありました。自身や洪水や竜巻によって、美しいものも醜いものも、有益なものも有害なものも、正しいものも邪悪なものも、全てひとしなみに破壊されてしまうことが、私には理解できませんでした。
(中略)
いずれにしても〝自然〟は、私や私の愛する者に対して、一本の声だ、一匹のハエほどにも関心を払っていない、と私は感じたものです、自然の霊は、こうした巧妙な暗示で持って途方もない要求をつきつけ、事物のなりゆきを支配する権限は自分にあると宣言しているのです、そう思うと、怒りにも似た感情が私の中に呼び覚まされたのでした。
〝自然〟から眼を転じ、今度は〝神〟について思いを巡らせましたが、ここでも私は行き詰ってしまいました、神は造物主であり、あらゆるところに居まし、人生の要求も喜びも悲しみもすべてお見とおしであり、〝彼〟の予見と配剤無くしては何事も起こりはしないのだ、と友人たちは私に説明してくれました。
(中略)
けれども、この〝神の愛〟と物質世界との関係についてはっきりとした観念を組み立てることは、どうしてもできませんでした。言語を絶するばかりの安心感を与えてくれる〝光〟と、リアルすぎて否定できそうもない自然の混沌や闇のあいだを行きつ戻りつしながら、私はいくたび薄暗がりや不確実さの中に自分自身を見失ったことでしょう。そんなある日、美しい蝶を〝見つめて〟いて、私は輝くばかりの幸福感に満たされ、まるで神にでもなったような気分にさせられたのでした。その蝶はまゆから羽化したばかりで、陽光の中で翅を乾かし、やがてたわわな岩梨の房の上をヒラヒラと飛んでゆくのを感じました。だれかが、古代エジプト人は蝶を不死の象徴と見なしてきた、という話をしてくれました。私は嬉しくなりました。きっとそうなのでしょう。生命のこのように美しい姿には、もっと素敵なことがらについての暗示が宿っているに違いありません。にもかかわらず、ある日突然やって来た直感のひらめきが私に無限の驚異を開示するまでは、霊の懐疑心が私を悩ませつづけたのでした。
その日、私は図書館で三十分ほど静かにすわっていましたが、やがて(サリヴァン)先生のほうを振り向いて言いました。
「なんて不思議なんでしょう!今までずっと、私は遠くのほうまで出かけていたんです。この部屋から一歩も動かなかったのに」。
「それはどういうことなの、ヘレン?」先生は驚いて訊ねました。
「どうしたのかしら?私、今までアテネに行っていたのよ」
その言葉が口をついて出るか出ないかの一瞬、ありありとした驚くばかりの現実感が私の心をとらえ、高揚させました。そして私は、私の霊魂が実在すること、しかもそれは場所や身体の制約を完全に超えているということを悟ったのでした。何千マイルもかなたの場所をこんなにありありと〝見たり〟感じたりしたのは、私が霊そのものだからであり、そのことにもはや疑う余地はありませんでした。霊にとって距離の隔たりなど問題ではありません。この新しい意識においては、神の臨在、霊としての神自身の偏在を、宇宙にあまねく同席される造物主を、眼にする事ができるのです。盲で啞で聾 の身ではありながら、この小さな霊魂が大陸と太陽を超えてギリシャにまで到達できたという事実は、もうひとつの別の、津波のように押し寄せてくるワクワクした感情を私にもたらしてくれたことになります。その時までに、私はすでに自分の障害を乗り越えており、触れることが目の代わりをしてもいました。賢人の思想を読むことも出来ました―思想は、本人が死んで後もずっと生きつづけるので、それを自分の一部とすることが出来ます。私に実際にそんなことができるのであれば、何の制約もない霊としての〝神〟は、自然の災害や事故、苦痛、破壊を取り除いて手をさしのべたり、もっともっとたくさんのことが出来ないはずはありません。そうなると、聾だとか盲だとかいう事はもうどうでも良くなります。そうした障害は私にとって、たかだか人生の周辺の問題にすぎなくなるのです。
(転載ここまで)
ヨハネの手紙1 4
ペトロの手紙2 1
『ヘレン・ケラー 光の中へ』
(42p~50pより抜粋)
「その当時、心優しいナザレ人イエス・キリストの物語を除いては、私はバイブルにある話に特別夢中になったりはしませんでした。」
「すてきな叔母が、〝聖なる書〟だと言っていたバイブルの中には、私が思い描いているような柔和で美しく輝く顔立ちをした存在者の似姿を発見することができなくて、私はがっかりしました。
叔母は「黙示録」の中も話してくれたのですが、やはり言いようのない空しさを感じました。龍や角のある獣と〝神〟から、いったい何を学べというのでしょうか?」
「悲しむ者を慰め、病むものを癒し、盲いた者に新たな光を与え、啞者に言葉を与えられたというキリストの魅惑的な物語には深く感動させられました。でも、どうして父と子と聖霊からなる三人格神を拝むことができるでしょうか?旧約聖書の時代には、それは偽りの礼拝の一種として、ひどく罰せられたのではなかったのでしょうか?」
(転載ここまで)
「偽りの礼拝として罰せられた」のは神ではなくバアルや偶像を拝んだからです。ヘレン・ケラーは旧約聖書をあまり読んでいないのかもしれません。
父(創造主ヤハウェ)と御子(イエス・キリスト)と聖霊を拝んでも罰せられることはありません。
申命記第5章
●ヘレン・ケラーとスウェーデンボルグ
ヘレン・ケラーにスウェーデンボルグを紹介したのは「ジョン・ヒッツ」という人物である(故鳥田四郎牧師はジョン・ヒッツを「牧師」と呼んでおられるが、彼が牧師であったかどうかは定かでないことから、敬称を省略する)。ちなみに、このヒッツという人物、ヘレン・ケラーの伝記類のほとんどに登場してこない。唯一『世界の伝記42 ヘレン・ケラー』(山主敏子著 ぎょうせい)にその関係が書かれていた。本書を参考にヘレン・ケラーがスウェーデンボルグを知る経緯について要約して紹介する。
幼い頃からヘレンは、この世のすべてのものを創造したのは誰だろうという疑問を持っていた。それに対してサリバンは、「母なる自然が創った」と話して聞かせていた。最初はそれで納得していたヘレンであったが、自ら手に触れるものには「みんな生命がある」と感じ、創造主に対する好奇心は増すばかりであった。
そして神について考えるようになり、フィリップス・ブルックスという神父から「神は愛なり」というキリスト教の教えを学んだ。しかしそれでもヘレンは神の愛と「物質世界」との関係がはっきりつかめずにいた。そんな時、ヘレンはジョン・ヒッツに出会うのである。十三歳の時であった。これから先のエピソードは『世界の伝記』からそのまま紹介する。
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ヒッツはアメリカ駐在のスイス総領事として長年ワシントンにいた人で、後にはワシントンのヴォルタ局の局長になった。ヴォルタ局というのはべル博土が電話の発明で得たヴォルタ賞金で設立し、聾唖者についての資料を集めたり、配布したりする仕事をしている機関だった。
ヒッツはヘレンを心から愛し、またサリバンの仕事が、へレンだけではなく、世界的な意義を持っていることを理解し、高く評価していた。ヒッツはしばしばボストンやケンブリッジへへレンたちを訪ねてきた。ヘレンもまた、タスカンビアヘ帰る時には必ずワシントンで下車して、ヒッツに会うのを楽しみにしていた。ヒッツはいつも長い手紙をくれた。彼はその手紙をヘレンが自分で読めるようにと、点字を習ってヘレンが読みたがっている本を、点字に打ってくれた。
ヘレンはこの人から、スウェーデンボルグの『天国と地獄』という本を貰って読み、すっかりその思想に魅せられて、スウェーデンボルグの考え方をもっと研究したいと思い、ヒッツに頼んだ。ヒッツはヘレンの役に立ちそうなものを点字に打って、送ってくれた。
ともあれヘレンは彼の宗教書にすっかり心酔してしまった。彼女は自分もまた霊的な体験を持ったと信じ、それをサリバンに語ったこともある。
最初にスウェーデンボルグをヘレンに語ったヒッツは、ヘレンたちがレンサムに移ってからは、毎年の夏六週間をレンサムへ来ていっしょにすごした。朝露をふんで、かぐわしい匂いのする牧場ヘと、へレンをつれて何時間でも散歩した。ドイツ語をヘレンのてのひらにつづり、いつもスウェーデンボルグのことを語った。
十四回目の誕生日にヒッツから贈られた金時計を、ヘレンはずっと肌身はなさずに持っていて胸にさげていた。この時計をヒッツははじめあるドイツ大使から贈られて、三十年以上も大切に持っていたのを、ヘレンに贈ったのだった。
(中略)
ヒッツはへレンを出迎えに列車のところまで来て、「ヘレン、よく帰ってきましたね」ととても喜んでへレンを抱きしめ、どんなにヘレンの来るのが待ち遠しかったかを語った。そしてヘレンの手を引いて列車のそばから歩き出したとき、ヒッツは突然心臓麻痺におそわれ、ヘレンの手をとったまま亡くなってしまったのだった。
ヒッツの死後もヘレンはいよいよスウェーデンボルグに傾倒し、彼の新教会主義を通じて聖書を熱心に読み、多くの尊い教訓をさがし出した。あまりなん辺となく読むので、ヘレンの聖書は点字が摩滅していた
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ヒッツの死は衝撃的である。この出来事は『My Religion』にも書いてある。ヘレンの心に残った悲しみはどんなに大きかったことだろう。
(転載ここまで)
『ヘレン・ケラー 光の中へ』
p.49
もし私が、彼は本当に死んでしまったのだと考えていたとしたら、あんなに親しく優しかった友を亡くしたことに私は耐えられなかったでしょう。けれども彼の気高い哲学と来世が存在するという信念が、私の夢想など及びもつかないような幸せで美しいあの世で、ふたたび彼に会えるはずだという揺るぎない信仰を支えてくれました。彼のたぐい稀な人柄の記憶が心にとどまっていて、それがいつも私を力づけていくれています。
彼は点訳したスウェーデボルグの『天界と地獄』を私の手に握らせ、こういいました。「はじめのうちは、ここに書いてあることがよく理解できないでしょう。しかし、精神の訓練にはもってこいの本です。あなたの心の中にいるのと同じような優しい神が、きっとあなたを満足させますよ」。そして、「むずかしい本を読むときは、何が真実であるかよりも、何が善であるかを見つけることのほうが簡単だという事を、いつも思い出すとよいでしょう」と言うのです。と言うのも、スウェーデボルグが言っているように「善とは光を発する小さな炎のようなもので、人の目を引き、認めさせ、信じさせる」からです。
(転載ここまで)
聖書には輪廻転生については書かれていません。自分は自分一人でしかなく、前世にほかの誰かだったことも、死後別の人物として人生を始めることもないようです。
ヘレン・ケラーはすっかり異端の教えに染まってしまったようです。
RAPT | 偶像崇拝を強要し、輪廻転生はあると嘘をついた「釈迦」は、悪魔崇拝者だったのか。
RAPT | 「輪廻転生」の概念が悪魔から生まれた可能性について。または真に悟りを開いた人とはどんな人なのかについて。
RAPT | 「前世」はない。「輪廻転生」もない。その確固たる証拠。
RAPT | 輪廻転生はあるのか。または「肉体」と「霊体」の仕組みについて。
ガラテヤの信徒への手紙1 第1章6節ー9節
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スウェーデンボルグは異端であり、悪魔崇拝者であり、クリスチャンではありません。
(こちらより転載)
神学・神秘主義思想
スヴェーデンボリの神学論は伝統的な三位一体を「三神論」であるとして退け、キリスト教では異端とされるサベリウス派に近い、父が子なる神イエス・キリストとなり受難した、とするものである。
但し聖霊を非人格的に解釈する点でサベリウス派と異なる。神の汎神論性を唱え、その人格性を大幅に後退させており、旧来のキリスト教とは性格的・構造的に相違がある。
聖書の範囲に関しても、正統信仰と大幅に異なる独自の解釈で知られる。
スヴェーデンボリが生前公開しなかった『霊界日記』において、聖書中の主要な登場人物使徒パウロが地獄に堕ちていると主張したり、ダビデを「ドラゴン」と呼び彼も地獄に堕ちているとしたり、同様にプロテスタントの著名な創始者の一人フィリップ・メランヒトンが地獄に堕ちたと主張した。
(中略)
スヴェーデンボリは聖書中に予言された「最後の審判」を1757年に目撃した、と主張した。
然し現実世界の政治・宗教・神学上で、その年を境になんらかの変化が起こったとは言えないため、「安直である」と彼を批判する声もある。
霊界では地球人の他に火星人や、金星人、土星人や月人が存在し、月人は月の大気が薄いため、胸部では無く腹腔部に溜めた空気によって言葉を発するなどといった、現代人からすれば荒唐無稽な部分も多い。
スヴェーデンボリ主義教会
スヴェーデンボリの死後、彼の思想への共鳴者が集まり、新エルサレム教会(新教会 The New Church とも)を創設した。新エルサレム教会はイギリスやアメリカに現存し、日本においても東京の世田谷区に存在する。
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スウェーデンボルグは「惑星の霊界深訪記」で、地球外生命体が存在していると語っていた。アポロ計画によって月に人がいないことがわかると、「新エルサレム教会」から離れる人が続出した。
(こちらより転載)
スウェーデンボルグは、この本の中で、月に人がいるとか、太陽系の他の星にも人が住んでいるなどと書いている。18世紀に書かれたもの。この本とほぼ同時期に、「天界と地獄」というスウェーデンボルグの書いた霊界探索記が出版されている。
現代人からすれば、この太陽系にすむ異星人達についての話が明らかにおかしいことがわかる。情報源が同じである同時期に出版された「天国と地獄」に書かれていた内容も同様に間違っている、信憑性がないと言わざるを得ない。なお、邦訳の書名に「霊界」と追加されているが霊界の話などではなく、実際に惑星に行ってきた話。霊界の話なので内容がトンデモでも問題ありません、という出版社、訳者の姑息な工作が感じられる。
近代になり科学技術が発達し、アポロ計画によって、月に人がいないことが明らかになり、スウェーデンボルグがまちがっていることがわかった。この本がなければ、スウェーデンボルグがおかしいということがわからなかった。まるで現代になってやっとわかるように仕組まれていたかのようだ。
アポロが月に行った1969年以降、スウェーデンボルグ、新エルサレム教会からから離れる人が続出したとか。
もし、この本が発表されていなかったら、スウェーデンボルグの書いた霊界に関することの真偽は永遠にわからないという恐ろしいことになっていた。
一定期間だけ人を躓かせた後、自らの教え、教義を吹き飛ばすために自ら仕掛けた時限爆弾だったのかもしれない。コンピュータが発明されなければ隠された情報が解析できなかったバイブルコード、写真技術がなければわからなかった聖骸布とは逆で、科学技術が進歩しないと嘘であることがわからないというのがおもしろい。
(転載ここまで)
参照
RAPT | RAPT×読者対談〈第84弾〉自己啓発もスピリチャル系も悪魔崇拝。http://rapt-neo.com/?p=37092
RAPT | 現代人にUFOを開発する技術がないという大嘘。
RAPT | UFOが宇宙人ではなく、天皇派の乗り物であるという幾つもの証拠。
RAPT | 天皇派が既にUFOを開発しているという確たる証拠。
RAPT | 佐野千遙氏に関する調査結果のまとめ。またはこの世の超常現象が全て天皇派の科学技術によって引き起こされてきた可能性について。
RAPT | RAPT×読者対談〈第66弾〉電磁波も放射能も宇宙も危険ではない可能性大。
フリーメーソン
また、フリーメーソンリーの友愛組合の一つとして、スウェーデンボルグ儀礼が存在する。これはスヴェーデンボリの教えを基に設立された、とされており、その組織は徒弟、職工仲間、新しい親方、光輝な神智論者、青の兄弟、赤の兄弟、の計6つの位階からなる。
1773年、マーカス・デ・ソーンによってアヴィニョンに設立され、当初は当時のフリーメーソンリーの悪評に対する権利を主張する目的を持った政治色のある組織であったが[17]、最初の10年のうちに廃れてしまった。
1870年になるとこの儀礼はヘルメス主義組織として復活したが、1908年頃には次第に衰退をしていった。1982年にこの儀礼の免状は、大英博物館の居室において英国メーソンのデズモンド・バークによって、メーソンの作家であるミカエル・モラマルコに伝達され、彼はそれをアンティコ・リコ・ノアチタというイタリア儀礼の伝統の復古したような形に再編集した。
またスウェーデンにおいても、スヴェーデンボリの思想は、セーデルマンランド男爵に大きな影響を与え、彼は現地のフリーメーソンリー(Svenska Frimurare Orden)のグランドマスターとして、独自の位階制度を作り、その儀典を執筆した。
(転載ここまで)
(こちらより転載)
また、ヘレン・ケラーは「私にとってスヴェーデンボリの神学教義がない人生など考えられない。もしそれが可能であるとすれば、心臓がなくても生きていられる人間の肉体を想像する事ができよう。」と発言し、他に影響を受けた著名人としては、ゲーテ、オノレ・ド・バルザック、フョードル・ドストエフスキー、ヴィクトル・ユーゴー、エドガー・アラン・ポー、ストリントベリ、ホルヘ・ルイス・ボルヘスなど挙げられ、特にバルザックは、その母親ともに熱心なスヴェーデンボリ神学の読者であった。
(中略)
なお、思想体系としての現代への影響を見るなら、このスヴェーデンボリとメスメルの思想を背景として、19世紀にはスピリチュアル思想が起こり、これはブラヴァツキー夫人の霊媒論や神智学と相互に影響を授受し合いながら、現代のさまざまなオカルトや新しい宗教の源泉となった。
神智学は悪魔崇拝であり、それらに従う人たちは、サタンであるルシファーを神よりも崇高な存在であると信じて崇め、神を冒涜しています。
神智学 参照
RAPT | RAPT×読者対談〈第88弾〉悪魔崇拝を世界中に広めたニューエイジ・ムーブメントの恐怖。
RAPT | 地底都市アガルタ (シャンバラ) が真の地獄であるという幾つもの証拠。
申命記18章 9節ー14節
RAPT | 「霊界」という奥義について。悪魔崇拝者たちは「霊界」の存在をひたすら我々一般庶民に隠してきました。
RAPT | 霊はこの世に存在している。しかし、人々は霊的なものにどう対処すればいいか分かっていない。
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(こちらより転載)
反面、スヴェーデンボリの存命時から彼を異端視する向きもあり、例えば、スヴェーデンボリの生前の生き方が聖人的ではない、という批判があり、一例として彼は自分より15歳年下の15歳の少女に対して求婚して、父親の発明家ポルヘムを通して婚姻届まで取り付けておきながら少女に拒絶されている。 スヴェーデンボリは生涯独身であったが、若い頃ロンドンで愛人と暮らしていた時期がある、ともされている。さらに、スヴェーデンボリは著作『結婚愛』の中で未婚の男性の買春、すなわち必要悪としての公娼がいる現状を消極的に認める記述をしている。
倫理的にベストとはいえないかもしれないが、基本的にスヴェーデンボリは「姦淫」を一切認めておらず、一夫多妻制などは言語道断であり、キリスト教徒の間では絶対に許されないとその著述に書いている。
(転載ここまで)
(こちらより転載)
また、ジョナサン・ブラックは、英国の時計商ジョン・ポール・ブロックマーが目撃した話として、1744年7月、ロンドンで、普段は物静かで立派な人に見えるスヴェーデンボリが、髪を逆立て口から泡を吹き、わけのわからないことを言いながらメシアを自称している光景を紹介している。
彼によると、その日、スヴェーデンボリは医者にかかるよう説得されるも、スウェーデン大使館に駆け込もうとして断られ、排水溝の中に走って行き、自ら服を脱いで転げ回り、群衆に金銭を投げた、とする。
彼はスヴェーデンボリが精神的に異常であったと推論しており、論拠として、マーシャ・キース・シュハードが、スヴェーデンボリはある種の性的技法を実践し、精神的に極度の変性意識状態にあったことを明らかにした、ことを取り上げている。(なお、Christian News Wireの報道によると、2011年に後述する新教会の関係者で熱心なスヴェーデンボリ信奉者の医師らが主催したセミナーでは、主催者の一名にタントリックセックスの指導をする医師が混じっている。)
(転載ここまで)
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(こちらより転載)
1. スウェーデンボルグの「霊界の太陽」 より
http://homepage2.nifty.com/nihonshingaku/page019.html
”「スウェデンボリは、性的タントラを詳細に研究した。性的興奮を引き延ばすのには、心理的修行が必要である。次に、この引き延ばされた性的興奮を用いて、性的エネルギーを脳に向け、それ によって霊的世界に到達する。それは狭隘な性的法悦ではなく、幻視的法悦である。……
明らかに、これらの技法は危険である―秘密にされた理由の一つがそれだ。スウェデンボリの大家が目撃した神経衰弱もそうであるし、また発狂や死の危険もある」
大家のブロックマーの話から判るように、スウェーデンボルグが精神に異常を来していたことは明らかで す。その上での幻視ですから、霊界情報にも疑問符が付きます。
(転載ここまで)
タントラ(तन्त्र Tantra)とは、ヒンドゥー教においては神妃(シヴァ神妃)になぞらえられる女性的力動の概念シャクティ(性力)の教義を説くシャークタ派の聖典群、仏教においては中世インドの主に8世紀以降に成立した後期密教聖典の通称である(また、広く密教聖典全般をタントラとみなす場合もある)。
(転載ここまで)
キリスト教では、神は創造主ヤハウェ御一人だけであると信じられており、他の神々に仕えることや、他の神々の教理に従う事は罪とされています。
悪魔教の性的儀式を行うスウェーデボルグはキリスト教の異端であり、悪魔崇拝者であり、人々に聖書に書かれてもいない嘘を教え、偽の神々を拝ませることによって人々の霊魂の救いを失わせる偽預言者です。
参照
RAPT | 〈閲覧注意〉日本の密教もまた悪魔崇拝そのものです。
RAPT | この世の神はとかく悪魔だらけ。ヨガ、アセンション、アガルタ関連の話には要注意です。
RAPT | RAPT×読者対談〈第83弾〉アーシング、イヤシロチ、ヨガ……。余りに巨大な悪魔崇拝への入り口。
RAPT | 「チベット仏教」なる悪魔教を国教とするブータンが世界一幸福な国であるという大嘘。
(こちらより転載)
カントの批判の痛烈さは、次のような言葉に反映している。「この著者の大著はナンセン スに満ち」「完全に空で理性の一滴も含まない」。実際、カント学者K・フィッシャーは『視霊者の夢』を評して、カントにとって形而上学とスウェーデンボルグは「一撃でぴしゃり と殺されるべき二匹のハエ」だった、と述べている。
(こちらより転載)
ところで、ヘレンのスウェーデンボルグへの関心について、サリバンの反応はどうであったのだろう。
だが、サリバンも夫のメイシー氏もスウェーデンボルグは天才的な人物ではあるが後に気が狂ったのだと考えていたから、ヘレンが彼を褒めると、「あなたはこんなことが気ちがいのたわごとだということを、よく承知のはずでしょう」ときめつけ、ヘレンは迷わされているのだと言った。
サリバン夫妻のスウェーデンボルグへ対する認識がこのようであったことも、ヘレン・ケラーの伝記類にスウェーデンボルグやヒッツが登場していない理由であろう。
しかしヘレンは、家族から孤立しようとも、スウェーデンボルグによって慰めを得て、信仰を深めていったのである。
(転載ここまで)
(こちらより転載)
私は自分自身の指で『天界と地獄』を読んだ時に、私が受けた霊的光を放射することができたらと思う。その時以来、私の人生の日々はすべて「教説を立証し」それが真理だとわかっている。もし人々がスウェーデンボルグの書物を、最初は少々の忍耐をもって読み始めさえするならば、彼らは間もなくその本を純粋な喜びのために読んでいることだろう。彼らは天界に入ることを非常に喜び、霊魂はどこにでもあることを彼らに示すに十分なものを見いだし、愛と神とは非常に強く連繋しているので、私たちは一方を理解せずに他方をよく知ることはできないということを、証明するに足るものを見いだすだろう。
彼の『神の愛と知恵』は生命の泉であり、それが手許にあって私は常に幸福である。私はこの本の中に、ほとんど意味のない多言や、ほとんど価値のない活動にみちた外界のやかましい狂気からの、幸せな休息を見いだす。私はこの偉大な川に私の指を突っ込む。これはすべての星よりも高く、私を包む沈黙よりも深い光の川である。それのみが偉大であり、他のすべては小さく断片的である。
スウェーデンボルグの著作に埋まっている激励的な思想と高貴な情感との半分でも、私が他の人々に説明することができさえしたら、私が他のどんな方法かでできるかも知れない場合よりももっと彼らに力を貸すことができるだろう。もし私がスウェーデンボルグを、霊的に盲聾である世界にもたらす手段となることができたら、私にとってどんなに大きな喜びであるだろう。
(転載ここまで)
スウェーデボルグを信奉していたことにより、ヘレン・ケラーは、様々な霊的体験をしたようですが、それらは全て偽の霊かから来た幻想であると考えられます。
- アメリカ人たちの恐ろしい食事
どこの民族でも、自分たちの歴史や伝統や習慣に根ざした食べ物を食べる。そうでないとその環境で生き残っていくことができなかったからだ。日本人なら和食だし、中国人なら中華料理だし、そういう民族料理が大事なのである。
しかしこの世界にはそういう民族料理を持たない国民がいる。それがアメリカ人なのである。アメリカ合衆国というのは主にヨーロッパ大陸からの移民によって作られたから、ヨーロッパ諸国の料理があると思いきや、実はそうではないのである。
アメリカの料理は肉中心で、野菜が異様にないのである。ヨーロッパ諸国でも肉を食うがそんなに肉を大量に食うものではないのだ。しかも南ヨーロッパは野菜が豊富だし、野菜が取れにくい北ヨーロッパにしてもピクルスを大量に作って野菜をしっかりと補っていたのである。
その肉食過多野菜不足の食生活に「珈琲」が加わるのである。そこに白砂糖を入れるのである。珈琲は覚醒作用を起こすと同時に、ビタミンやミネラルを奪うのであるが、それが白砂糖によって加速されることになるのだ。
こういう食生活で暮らしていれば、女性たちが妊娠しても、胎児は栄誉不足の中で育ってしまい、その悪影響はモロに出てしまい、その胎児が赤ちゃんになってもそれは先天的な不利として生涯に亘って残ってしまうのである。
しかも母親の母乳刃栄養不足から質が非常に悪い。更に母乳育児を拒否し、ミルクでの育児をしようとするのである。こうなれば非常に免疫力の弱い赤ちゃんになってしまうのは当然のことなのである。
ヘレン・ケラーはアメリカ人だったからこそ生まれた女性だったのである。
- 三重苦は嘘だった
ヘレン・ケラーは赤ちゃんの時は健康であっても、2歳の時に罹った熱病で「盲聾唖」の三重苦を背負うことになる。なぜヘレン・ケラーが三重苦を背負ってしまったかといえば、「母乳の質の悪さ」と「授乳期間の短さ」が最大の原因なのである。ヘレン・ケラーの両親はドイツ系アメリカ人であるために、野菜の摂取量が少なかったし、またミルクで育ててしまったからだ。
ヘレン・ケラ-は三重苦があったために、我儘に育ってしまった。そこで両親はパーキンス盲学校に家庭教師を養成し、その時にやってきたのが、アン・サリバンなのである。アン・サリバンは子供の頃には弱視で、この当時には手術によって弱視を克服していたという経歴があったのである。
アン・サリバンは我儘なjヘレン・ケラーに指文字で言葉を教え、ヘレン・ケラーは徐々に言葉を理解していく。例えば「水」なら、水に手を触れさせ、その後、掌に「WATER」と指で字を書くのである。こうやって単語を教え、そして文章にしていくのである。
しかしこれはどうも嘘らしい。
実を言うと三重苦は嘘だったのだ。
ヘレン・ケラーは声に関しては或る程度克服していたのである。ヘレン・ケラーが写った映像を見ても、ヘレン・ケラーは意図的に発生をしていないのである。普通、聾唖者というのは全く話せないのではなく、言葉にはなっていない声を発してくるものなのである。
ヘレン・ケラーは三重苦を売り物にして全世界で有名になったために、ヘレン・ケラーは人前で話さなかったし、家族たちも沈黙してしまった。しかしヘレン・ケラーが死んだ後、「ヘレン・ケラーはちゃんと話せたよ」と親族の間から秘密が暴露されてしまったのである。
- 実は社会主義者だったヘレン・ケラー
ヘレン・ケラーは単なる身体障害者ではない。南部の銘家の生まれのために、ラドクリフ女子大学に進学しているのだ。これは現在、ハーバード大学に吸収されているので、当時のアメリカ人女性としては最も高度な教育を受けたのである。
この当時のアメリカ合衆国は産業革命によって大発展を遂げていたが、知識人たちは真っ赤で社会主義が蔓延していたのである。ヘレン・ケラーも大学教育を受けた以上、社会主義者になってしまうのである。
ヘレン・ケラーはアメリカ社会党に入党し、婦人参政権運動や産児制限運動や公民権運動といった幅広く社会主義運動を展開した。ヘレン・ケラーは社会主義の思想に共鳴して何もやらない普通の社会主義者とは違い、本気になって社会主義運動をやっていたのである。
婦人参政権運動というのは耳には聞こえがいいが、実は婦人たちを政治に参加させることで、労働者にするという運動なのである。当然、専業主婦は目の仇にされるのである。目指すは家族解体なのである。
産児制限というのは、ドイツ系の人たちが主に唱えるものである。これは「優生学」という学問に基づくものであって、人類の中で白人こそが優秀であり、白人の中でもドイツ人こそが優秀であり、そのために人類の人口をコントロールしようとするものなのである。カール・マルクスがドイツから亡命したとはいえ、彼がドイツ人であったことを忘れてはならないのだ。
公民権運動はアメリカ合衆国特有の運動で、奴隷制度があったために、黒人たちに公民権がなかったのである。そこで社会主義者たちは黒人たちに公民権を与えることで、社会主義陣営に組み込もうとしたのである。
ヘレン・ケラーはロシア革命の際には支持を表明している。ソ連は国内では大量虐殺、国外には侵略戦争を展開しまくることになるのであるが、このような邪悪な国家をヘレン・ケラーは支持し続けたのである。
(中略)
ヘレン・ケラーはなんと87歳まで生きたのである。そのくせ彼女が打ち立て功績は何もないのである。三重苦の持ち主として有名になってしまったために、ただ世界各国を渡り歩くだけの人生を送ってしまったのである。
ヘレン・ケラーは「奇蹟の人」ではない。彼女には何か1つの仕事を成し遂げたことがないのだ。身体障害者は健常者と違って、自分の行動に大いに制限がかかるものなのである。だから1つの仕事に絞り、それに専念すべきなのである。そうやって仕事をするからこそ、身体障害者であっても何かの功績を打ち立てることができるのである。
身体障害者は身体障害者らしい生き方を見つけるべきなのである。自分が身体障害者である以上、健常者と比較するのは無意味なのである。寧ろヘレン・ケラーの人生は「身体障害者が世界を駆けずり回っても、なんも変わらない」ということを教えてくれたのである。塙保己一のように身体障害者であっても1つの仕事に専念すれば、必ず功績を打ち立てることができるものなのである。
(転載ここまで)
「奇跡の人」とは英語で Miracle Worker で、これはサリバン先生のことのようです。
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(こちらより転載)
昨日の講義で牧野先生は「ヘレンケラーの映画でも演劇でも、Water!と言う言葉が出る瞬間を、食事マナーをしつけようとして言うことを聞かないで汚れてしまったヘレンをサリバン先生が厳しく井戸の所に連れて行って洗わせるときに、その水を手に受けて電撃が走るようにWaterと発するようなシーンになっているが、あれは障害児保育や言語治療から言ったらありえない。」といわれました。
牧野先生は言語聴覚士たちとその議論になり、とうとうサリバン先生の日記の原著から、そのシーンは映画用にアメリカの家庭教育の指針として脚色されたものであったことを突き止めたというのです。サリバン先生の日記は事実を淡々と書かれているわけですが・・・
その日は長雨の後、まだ少し雨が残っているものの、外に出られないほどではなく、長雨でイライラが募ったヘレンはまだ土が濡れている庭に出て走り回り、転び、悦びの中でどろどろになった。泥が手足につき、顔も汚れ、服も重くなって、動き回った後とうとう半泣きになったヘレンをサリバン先生は井戸に連れて行きます。そして水を出す。水がヘレンの手の泥を落とし、顔の汚れを落とし、ツルツルの肌に戻ってゆき、ゴワゴワだった服が洗われる気持ちよさ。嬉しかった後の気持ちよさをくれた水・・。だからこそヘレンは「これは何?」「この気持ちいいものを、この人に伝えたい」と思ったのでしょう。
・・・なるほど、それなら納得です。今まで何度も見てきたシーンですが、そこまでこだわって調べた牧野先生に脱帽です。
(転載ここまで)
以下は映画「The Miracle Worker」の「water 」のシーンの動画です。
The Miracle Worker (1962) – Water Scene
以下はヘレン・ケラーのスピーチの動画
Helen Keller Speech
ヘレン・ケラーが語る霊的な体験や感動が、本当の神から来たものであればよかったのですが、残念ながら、彼女が信じていた神や霊感は偽物であったようです。
このように神や霊について知ろうとする人たちを誤誘導し、救いを失わせるような異端やカルト、悪魔崇拝者が現在でも蔓延っているようです。彼らが滅びることを願います。
マタイによる福音書第22章 34-40節
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RAPT | キリスト教は悪魔崇拝者によって内部から破壊された。その歴史の詳細について。
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