超能力者と魔術師について
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(2023/2/07 更新)
日本では1970年代から80年代にかけオカルトブームが起こり、スプーン曲げを行う「超能力者」が注目を集め、トリックを見破られてから超能力ブームは終息、当時注目を集めた「超能力者」たちは次々と姿を消したようです。(それなのに、なぜか「ユリ.ゲラー」だけは生き残っている様子。)彼らは「スプーン曲げ」を特別な能力を持って曲げているように語っていた。スプーン曲げは特殊能力を持たなくても誰でも簡単に出来るただの手品です。
世間で「超能力者」と呼ばれた人達は、ほとんどがただの手品でしかないですが、スピリチュアル系や、「霊能力者」、「魔術師」、「呪術師」、「シャーマン」といった存在は、悪魔崇拝者である事がほとんどであり、彼らに頼ると、悪魔や悪霊が働く恐れがあるようです。
確かに五感以外に霊感というものは存在します。神も悪魔も天使も存在しています。TVなどのマスメディアは、その事について正しく伝えず、神や宗教について嘘ばかりをついています。洗脳装置であるマスゴミにとって、そのような情報は自分たちに都合が悪いのでしょう。
スプーン曲げ
「スプーン曲げ」は、マジックの初歩としてよく使われている。これを「超能力」だと言って商売をする人がかつて存在していたようです。
スピリチュアル系の講習会などでも「スプーン曲げ」の実践が行われているらしい。
これは別に誰でも簡単に出来る事であり、特別な能力や霊感を必要とせず、お金が掛かることもない。
スプーン曲げ(スプーンまげ)は、金属製のスプーン(さじ)を撫でたり息をふきかけたり空中に投げ上げただけで、さじの首の部分がぐにゃぐにゃに曲がってしまうというパフォーマンス。
いわゆる科学マジックの一種である。超能力と見做されることも少なくない。
概要
金属を曲げるメタルベンディングという分野の一つで、マジックとして演じられる場合もあれば超能力であるとして演じられることもある。
単に曲げる他にも、ねじ切ったり器具を使ったかのように断面を美しく切断するなどのパターンもある。1972年のいわゆるオカルトブームの中心にもなった。
ユダヤ人のユリ・ゲラーがテレビのワイドショーで実演、これにより「超能力」という言葉が流行語になった。1974年には日本にも訪れ、1974年3月7日放送「木曜スペシャル」で実演し大センセーションを巻き起こした。(ただしこの時に曲げたのはフォークである。)
この番組により沢山の少年少女が超能力に目覚めたとされ、スプーン曲げのパフォーマンスがマスコミに取り上げられる。彼らはゲラリーニと呼ばれた。
しかし『週刊朝日』1974年5月24日版にスプーンを床へ押し付け曲げている写真が掲載されたり、また後年1984年2月3日放送「金曜ファミリーワイド」でスプーンをテーブルに押し付けて曲げている映像が撮られたりするなど、ゲラリーニの世間的評価は否定的傾向が見られ、芳しくない。
ユリ・ゲラーについても、床などの堅いものに押しつけてスプーンを曲げるという手法であったことが指摘されている。(ジェームズ・ランディ『en:The Truth About Uri Geller』)
なお、ユリ・ゲラーや一部ゲラリーニは、スプーン曲げの能力は宇宙人からのチャネリングにより手に入れた物だと主張している。
(転載ここまで)
「スプーン曲げ」や「超能力」といえば、「ユリ.ゲラー」が有名。彼のマジシャンとしての実力はどれ程のものなのか調べたところ、ほとんどインチキな話しか見つかりませんでした。
ユリ・ゲラー(Wikipedia)
公衆の面前でスプーン曲げを披露するユリ・ゲラー(2005年)
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ユリ・ゲラー(אורי גלר Uri Geller, 1946年12月20日 – )は、テルアビブ生まれの超能力者を名乗る人物。現在イギリス在住。正式名ウリ・ゲレル・フロイド(אורי גלר פרויד Uri Geller Freud)、生まれた時の姓名はハンガリー名でジェルジ・ゲッレール(György Gellér)。
経歴
ハンガリー系ユダヤ人の移民の家庭に生まれる。父はイツハク・ゲラー、母はマンジー・フロイト。精神分析学の祖ジークムント・フロイトの親類である。両親の離婚と母親の再婚に伴って、キプロスのニコシアに転居。そこでカトリックの高校に通い英語を習得する。
1964年にイスラエル陸軍に入隊するが、1967年の六日戦争で軽傷を負って除隊。その後ファッションモデルやキャンプ・カウンセラーなどの職を点々とする(モサッドで様々なスパイに関する技術を学んだ、という説もあり)。
そのキャンプでシンプソン・シュトラング(通称シピ)という少年と知り合ったユリは、奇術の共同研究を始め、友人のパーティーやナイトクラブでの超能力ショーを始めるようになる。だが、そこでの奇術(テレパシー術)があまりに稚拙であったため、ナイトクラブの支配人らから訴えられ、裁判で「今後、イスラエル国内で超能力を冠したショーを行ってはならない」との処分が下される。また同じ頃、女優のソフィア・ローレンと一緒に写っている合成写真を発表し、世間から激しく非難された。
1972年、アメリカの超心理学者アンドリア・プハリッチ(プハーリック)が、どん底だったユリとシピを救うことになる。プハリッチはユリを本物の超能力者であるとしてアメリカに招聘した(シピも同行した)。
ちなみにプハリッチの著書『超能力者ユリ・ゲラー』(Uri. 二見書房)によれば、プハリッチとユリのふたりは何兆光年も離れた惑星フーバの宇宙船からコンピューターで操作されているそうである。
(※・・・・・・😒)
1972年12月12日から、カリフォルニア州のSRIインターナショナルで彼の超能力テストが行われた。 初歩的な予備試験では一見するとテレパシーや透視に見えるような結果を残したが、より厳密なテストが行われるのを待たず、勝手に終了を宣言して退去してしまった。
また1973年からアメリカやイギリスのテレビ番組に登場するようになるが、ベテランの奇術師であるジェームス・ランディが同席する席で彼の超能力が発揮されることはなかった。
(※ベテラン奇術師の前ではトリックが簡単に見破られると思って控えたという事ですか?)
1974年を皮切りに、公式・非公式に何度か来日。当時の人気番組「11PM」や「木曜スペシャル」(日本テレビ)に登場。スプーン曲げやテレビの画面を通じて念力を送ることで止まっていた時計を動かすといったパフォーマンスで日本での超能力ブームの火付け役となった。
1980年代後半以降、特に日本テレビの番組などでユリやその能力を取り上げることを度々行ってきたが、その際にユリ自身は、「FBI捜査やCIAの秘密ミッションに携わっていた」「アメリカで広大な土地付きの豪邸に住んでいられるのは、自身の超能力で油田を探り当てたから」などと語っていた。
1991年から1995年にかけて、ゲラー批判を続けていた「サイコップ」に対して、エルドン・バードと共に訴訟を起こす。1995年3月に和解が成立し、ゲラーは「軽薄な告発」の賠償としてサイコップに対し12万ドルの賠償金を支払った。
2000年、ゲーム「ポケットモンスター」のポケモン「ユンゲラー」に自分のイメージを盗用されたとして、任天堂を相手取り6000万ポンド(約101億円)の損害賠償を求める裁判をロサンゼルスの連邦地裁に起こした(ポケットモンスター#関連事件・逆風も参照)。
エスパーポケモン「ユンゲラー」に対し、ユリ・ゲラー氏が名誉毀損として提訴。スプーンを曲げる超能力系キャラとして、自分のイメージを勝手に使われたとのこと。このとき、任天堂側の弁護士が機転を利かし、裁判中「このキャラクターは超能力が使えます。もし貴方とこのキャラクターが似ているというなら是非ここで超能力を使ってみてください」と冗談と皮肉を混ぜた口上でユリ・ゲラーを沈黙させ、結局すぐに控訴を取り下げた。
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2002年 イギリスのジャーナリストマーティン・バシールをマイケル・ジャクソンに紹介した。この時バシールらが製作した番組マイケルジャクソンの真実が後にマイケル・ジャクソン裁判に発展。ユリはバシール側よりマイケル・ジャクソンを紹介した謝礼として数千万円(20万$と言われている)の謝礼を受けとっており非難を浴びた。また、マイケル・ジャクソンと疎遠になっている。
バシールの番組放映後、マイケルと疎遠だった事は本人も認め、バシールを紹介した事を悔やんでいると語っているが、マイケル・ジャクソンとの交流は復活しないままマイケルは永眠した。
マーティン・バシール(Martin Bashir、1963年1月19日 – )はパキスタン系のイギリスのジャーナリストである。ロンドンに生まれる。1986年からジャーナリストの仕事を開始する。
「マイケルジャクソンの真実」
バシールはマイケルの友人であるユリ・ゲラーに電話し、仲介を取り自分をマイケル・ジャクソンに紹介して貰い、マイケルに番組の収益は慈善事業に寄付すると持ちかけ、また、かつて取材したダイアナ妃の実績も取り上げることでマイケルの歓心をかうことに成功。8ヶ月間の長期に渡り、マイケルを無償で出演させ、密着取材を行った。バシールはユリ・ゲラーにマイケルを紹介した謝礼として20万$を支払ったとされている。
2003年に放送。インタビュー内容はマイケルに「整形の回数」「父親との確執」、「肌の色」「1993年の疑惑」「少年、子供と一緒に寝ること」について執拗に質問を繰り返し、子供の頃、父親から受けた体罰を聞かれたマイケルが「何でそんな事を聞くんだよ」と泣き出してしまう場面も有った。マイケルはバシールの多くの質問に実直に答えているがバシールの質問は辛辣さを増して行く。
マイケルを取材中はマイケルやネバーランドの在り方を賞賛し、マイケルに理解を示し、共鳴する姿勢を見せていたが、放映された番組内ではマイケルを批判する自らのナレーションを多用し、インタビューの脈略を無視し、編集していた事がマイケル・ジャクソン裁判で露見した。
この番組は全世界で反響を巻き起こし、マイケル・ジャクソンは番組で映っていた少年に対する性的虐待疑惑で裁判にかけられてしまった。
(転載ここまで)
「超能力者」である自分の「念」を世界に送り、世の中を良くしているらしい超能力者「ユリ・ゲラー」は、(自分のせいでトラブルに見舞われた)友人のマイケルが救われるように「念」を送らず、友人マイケルを陥れた「マーティン・バシール」に裁きが下るように「念」を送らず、「マーティン・バシール」から謝礼を受け取ったまま、その後裁判にまで発展した問題を放置したようです。
「超能力でEU離脱止める」=ユリ・ゲラーさん緊急参戦-英|時事ドットコムニュースより転載。
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ゲラーさんはイスラエル生まれだが、英国のメイ首相の選挙区内に住んでいたのが縁で、20年以上にわたって首相と交友があるという。メイ氏の首相就任も「予言した」と主張している。
ゲラーさんの投稿に対しては多くのコメントが寄せられ、「もう既に議員の多くは折れ曲がり、転向している」などと指摘する声も上がっている。
なぜこのようなスプーン曲げのマジシャンがメイ首相やマイケル・ジャクソンと知り合いになれるのか。「フロイトの親戚」だからなのか。何か強力なコネでもあるのか。「超能力者だから」ではないはず。
ユリ・ゲラーが語るマイケルの真実 (前編)|YouTuYouTube
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それ程人気があるわけでもないのに、なぜ「アメリカで広大な土地付きの豪邸に住んでいられる」のかも謎。「自身の超能力で油田を探り当てたから」などと語っていたらしい。
ちなみに、マイケル・ジャクソンの肌が途中から白くなったのを整形だと思っている人がいるようですがこれは整形ではなく、「尋常性白斑」と呼ばれる「人口の約1%未満の確率で発症し、肌の一部の色素がところどころ無くなってしまう非常に珍しい自己免疫疾患」なのだそうです。
世界で最も美しい「まだら肌」ウィニー・ハーロウが水原希子と共演!|NAVERまとめ
マイケル ジャクソンの肌はどうして白くなったんですか?病気ですか、整形ですか?個人的にはスリラーのころのマイケルがすごくカッコイイと思うんですが。
ベストアンサーに選ばれた回答
2009/7/1221:02:37
小倉なにがしが「白人に憧れて漂白した」と言ってましたが、事実無根です。
できればジャクソン氏のカツラ疑惑について、カツラ小倉さんに語ってもらいたかったですが、という話はさておき、ジャクソン氏の肌の白さは病気からです。
個人的にはわたしも黒い頃がかっこいいと思いますよ。整形もほどほどに、の頃が。
肌の色ですが、こちらの外国のサイトに詳しい写真が載っています。
http://popspiracy.blogspot.com/2007/06/michael-jacksons-skin-diseas…
尋常性白班症という免疫の病気についての検証写真がありますが、現代の医学では漂白は無理ですので(そもそも黒人はレーザーなどでシミ取り行為をしても、遺伝子に黒くなるしくみが書き込まれているため、焼け石に水です。将来的にこの遺伝子が解明されれば白くすることも可能かもしれませんが、現時点ではどんなにお金があっても無理です。例えばジャクソン氏が極秘に研究させていたとしても、どこかの学会でかならず嗅ぎ付けられてしまいますし、医者が見れば白班は一目瞭然な症状です。)、写真と合わせてみても、この病気だと言って良いでしょう。
さらに全身性エリテマトーデスという膠原病の一つにも罹っていて、その典型的な蝶形紅斑の写真もあります。この病気は、病気の活動期になると全身の臓器に炎症をきたすことがあり、関節炎などもあって発熱、倦怠感が顕著なので、まだ解明されていませんが、死因の一つかもしれない鎮痛剤や麻酔は病気の痛みのために使用していたと考えるのが通常でしょう。 しかし、依存症になっていたんでしょうね。
さらに、この病気も、白班も紫外線は禁忌ですので、奇行とされていた日よけの傘などは、膠原病の方たちには当然の予防策です。他人の病気を奇行という報道は、あまりに無学で無責任だと思いますね。
ネットですぐに検索できるのに、ファンといいつつ病気の事も知らず「漂白」だなんて言っていた小倉さん、恥ずかしくはないのでしょうかね。
それで飯食ってるならもう少し勉強してからにしてほしいですね。
本当に漂白したというのなら、その証拠と根拠を説明すべきですね。無責任です。
カツラをとってジャクソン氏と視聴者にあやまっていただきたい。
2012年4月29日放送のフジテレビ系バラエティ番組ほこ×たてにて「絶対に曲がらないスプーンvs絶対曲げる男ユリ・ゲラー」として山崎金属工業のスプーンコブラと対決。 結果は最強スプーンコブラの勝利となり、ユリ・ゲラーが曲げられなかった唯一のスプーンとなった。
(※硬すぎて手で曲げられなかったらしい。)
評価
スプーン曲げでブームになった。ただし、ビデオの解析から、「スプーン曲げ」などの「超常現象」は巧妙な手品であると指摘されている(安斎育郎著『科学と非科学の間』)。ベテランのマジシャンであるジェームス・ランディや超能力肯定派のゆうむはじめも手品であると指摘している。彼の“能力”と称するものを奇術によって再現出来るプロマジシャンからするとゲラーの“能力”は、鼻持ちならない程、稚拙で雑であると言われている。しかしその拙さ故に人は簡単に信じてしまうものだと、指摘している。
Mr.マリックが披露した透視手品に驚きそのタネを聞き出した数年後、彼の超能力のリストにその透視ネタが入るようになった。マリックは彼を評して『超能力者と言うよりはビジネスマン』と笑っていいとも!で述べている。
(転載ここまで)
要するにただのインチキで超能力でも何でもない。
これまで多くの「超能力者」がトリックを暴かれて姿を消していった中で、このような「稚拙で雑」なマジシャンがどうして未だに活動を続けられるのか疑問。
超能力者「ユリ.ゲラー」は、Mr.マリックに「自分がスプーン曲げの元祖だと証明して欲しい」と、書類にサインをするように頼んだのだそう。
マジックに超能力的な演出を加えたマリックの超魔術。そのヒントとなり、世界観を追ったのが、超能力者を名乗るユリ・ゲラーの存在だった。そして両者には、次なる逸話があった。
「1992年、一面識もない彼に赤坂のホテルに呼び出され、スプーン曲げは自分が元祖だと証明してほしいと頼まれ、書類にサインをしたのです。その際、私の要望で曲げてくれたのが、このスプーン。最初は目の前でダイレクトにこすっていましたが、突然私の背後に回り、差し出された時には曲がっていた。尻尾を掴ませないのが凄いところです」
超魔術は今年30周年を迎える。手を替え品を替え、時代と共に進化を遂げてきたことで天職と実感すると語る。今後は人生をゴールのないマラソンと例え、逝く日まで技を磨き、マジックの素晴らしさを広めたいとも。
「高齢者にはボケ予防の脳トレとしてお勧めです。“1億総マジシャン計画”で日本中を元気にしたいです」
【プロフィール】ミスター・マリック/1949年、岐阜県生まれ。超魔術師、サイキックエンターテイナー。決め台詞「きてます!」「ハンドパワー」の超魔術は空前の大ブームに。3月23日に大磯プリンスホテルで「超魔術誕生30周年記念ディナーショー」を開催
※週刊ポスト2019年3月22日号
(転載ここまで)
スプーンに念力を送っているように見せた後ミスター・マリックの背後に回り、その隙に手で曲げて差し出したのか。これがスプーン曲げの元祖という事らしい。何が凄いのかわからない。
「ミスター・マリック」という有名なマジシャンが証明してくれれば皆に信じてもらえるとでも思ったのかもしれないが、無駄な抵抗であると思われます。
その超能力者「ユリ.ゲラー」は現在、イスラエルで「ユリ.ゲラー博物館」を建設中だそうです。
「ユリ・ゲラー博物館」の建設中に大規模な地下遺構発見 イスラエル|BFPBBニュース
【8月15日 AFP】イスラエル・テルアビブ(Tel Aviv)郊外ヤッファ(Jaffa)で、「超能力者」を名乗り、テレビのパーソナリティーも務めるユリ・ゲラー(Uri Geller)氏の博物館の建設作業中、19世紀のオスマン帝国時代にさかのぼるせっけん工場の跡など、複数の大規模な地下遺構が偶然発見された。(c)AFP
(転載ここまで)
そのため、博物館の完成はまだなのだそうです。曲がったスプーンばかり展示されているのか。
インチキばかりなのに、一体どこからお金を得ているのか謎。
それから「ユリ・ゲラー」は自分がスパイであることや、“念力”によるソ連への妨害活動など告白したらしい。マイケル・ジャクソンのトラブルについては念力で救えなかったのか。
ユリゲラーはスパイだった!?本人が語った【サイキックスパイ活動】
このような「超能力者」の番組により、1970年代に「沢山の少年少女が超能力に目覚めた」とされ、「超能力少年少女」たちのスプーン曲げのパフォーマンスがマスコミに取り上げられるようになったらしい。
その「超能力少年少女」の中で「関口淳」という名の少年と、「清田 益章」という名の「超能力少年」がマスコミから多くの取材を受けていたのだそう。
関口 淳(せきぐち じゅん、1962年11月15日- )は自称超能力者。11歳の時にスプーン曲げを行ったと主張した。
スプーンの他、フォーク、ケーキばさみ、氷ばさみ、角砂糖ばさみ、ハサミ、ハンガー、針金、銅線、幅1.5センチの銅板、フライパン、フライパン返し、おろし金、お玉、スキーのストック、傘、天ぷら用の金属箸、プラスチック、手で曲げると折れてしまう乾いた木の枝、竹、ガラス棒などを曲げたという。
また、テレパシーやクレアボヤンス(千里眼)にも才能を示すという触れ込みだった。
マスコミの寵児
フリー編集者でフリーライターの関口甫の長男として生まれる。父の甫は『週刊プレイボーイ』創刊から3年間、同誌の専属ライターを務めていた他、『13時ショー』の構成をしていた。
1973年12月3日、妹たちと共に自宅付近から南の空にUFOを目撃し、それ以来スプーンを曲げられるようになった、という。同月上旬のNTV『まんがジョッキー』にて、ユリ・ゲラーの影響を受けたロンドンの9歳の少女によるスプーン曲げを見たことから自らもスプーン曲げに挑み、同月20日頃には、自分で曲げたスプーンを初めて父のもとに持参している。
NETテレビ(現・テレビ朝日)に父の友人の備前島ディレクターがいたため、1974年1月8日、『13時ショー』に出演が決まり、同月21日放映の『13時ショー』で3本のスプーンを曲げてみせた(ただし放映中に曲げたのは1本のみ)。同日、放映終了後に記者会見をおこない、関口の「超能力」がマスコミに知れ渡った。
1月26日から2月2日までに『少年キング』『週刊ポスト』『別冊漫画タイムス』『週刊女性』『週刊少年サンデー』の取材を受ける。
(中略。その他有名人との多数の取材を受ける)
その他、4月4日の『はーい!アグネス』や4月21日の『紅白歌のベストテン』、さらに『仮面ライダーX』にも出演。マスコミの寵児となった。当時は過密スケジュールで1日5時間程度しか眠れない状態が続いたという
トリック事件
ところが1974年5月7日、東京芝のスタジオで『週刊朝日』取材班の撮影を受けた時、マルチストロボ使用の分解写真によりトリックを暴かれるに至る。
同年5月24日号の『週刊朝日』に掲載された「科学的テストで遂にボロが出た! “超能力ブーム”に終止符」によると、スプーンは太ももか腹に押し当てて曲げたもの、針金はあらかじめ曲げてあったものとすり替えて投げていただけだったという。
この時のトリック使用については関口淳当人も「あの日、撮影のために何時間もスプーン曲げをやらされていて、もうヘトヘトになっていました。最後には、根負けして、すでに折れまがっていたスプーンを拾って投げちゃった」と認め、淳の母は「細工をするところまで息子を追い込んでしまった」と謝罪した。これ以後、日本の超能力ブームは急速に衰退した。
関口淳は後年、
「マスコミの人って、けっこうヤラセをさせるんですよね。打ち合わせのときなどに、簡単にスプーンを曲げてみせるでしょう。そうすると、『これは本物だ』となり、本番の写真撮影やテレビのビデオ撮りのときに、何時間かけてもうまくいかなかったりすると、『もういいよ。君が本物だということは知っているから』と言って、ヤラセですませてしまおう、ということになるんです。子供ですから、僕は漠然と『そういうものなのかな』と思ってました。『週刊朝日』のときも、他のおじさん達と同様に、それで許してくれるんじゃないか、いい写真が撮れたって喜んでくれるんじゃないかって、思ってたんです」
「『週刊朝日』の一件は、今となってみれば、よかったのかなと思います。現実の壁の厚さっていうんですか。そういうものにぶち当たって、僕は自分が普通の無力な人間だと思い知ることができた。そうでなくて、あのままうまくいっていたとしたら、オウムの連中のように、自分のことを普通の人間ではない、選ばれた人間だと思い込んでいたかもしれない」
「僕は教祖になんかなりたくない。実際、新興宗教を作りたいから教祖になってくれないか、金はいくらでも出すという誘いを何回も受けましたが、すべて断りました」
と語っている。
父の関口甫によると、この後5月14日に『週刊平凡』の記者たちの前で、手を触れず念の力だけでスプーンを曲げたが、そのことは一行も記事にしてもらえなかった、という。
甫は1992年の『週刊新潮』の取材でも「息子の超能力は本物だった」「4時間半にわたるテストの結果、疲労困憊した淳が手で曲げてしまった。その部分だけが拡大されて報じられ、淳の超能力の全てがインチキ扱いされたのは残念」と語っている。
泉麻人は、当時の日本においてはユリ・ゲラーよりも関口が多くの批判を集めていたこと、「超能力番組を告発する会」が結成され、ブームが終局を迎えたことを自著で紹介している。
トリック事件以後
高校時代は「1年生のときに麻雀で役満を20回も上った」「バレーボールのサーブ権を取るじゃんけんで、30数回のうち1回しか負けなかった」との逸話を持つ。予備校時代に両親の別居と離婚を経験し、のち大学進学を断念。母が経営する喫茶店兼パブのバーテンダーとして働き始めたが、開店2週間で母が病気になり倒れたため、閉店を余儀なくされる。次いで、祖父の経営する従業員2名の不動産会社の社長になった。
かねてより父の甫から「小さい時に騒がれちやほやされた者が、どんな大人になるか」「超能力を一時期発揮することよりも、その子にとっては、ながい人生のほうがどれだけ大切なのか」と懸念を示されていたが、都内の友人宅で大麻パーティを開いていたことが発覚し、21歳の時に大麻取締法違反で逮捕された。
銀座のクラブ「ピロポ」の支配人を経て「日本トラスト」という会社の社長秘書となり、社長の指示で株の売買やゴルフ場の地上げに関与、「随分と儲かりましたね」「ベンツを乗り回し、携帯電話を持ち、いっぱしの”ヤンエグ”気取りでしたよ」と回想している。ところが1990年頃、それまでの仕事に飽き足らなくなり、27歳で配管工に転じる。1992年の『週刊新潮』の取材には
「超能力に関する研究を行なっている三十ヵ国のうち、二十九ヵ国が、僕のスプーンの切断面が薬品や腕力で切ったものではないと認めてくれている」
「今でも僕はその能力の存在を信じていますから、後悔はしていませんよ」
「麻雀も友人たちとはしょっちゅうやります。でも、役満は普通の人と同じ程度にしか出ないですね。今、日常生活で”超能力”みたいなものが発揮されるとしたら、人が何を考えているのか、敏感に感じてしまうことぐらいでしょうか」
と答えている。
大麻取締法違反で執行猶予つきの有罪判決を受けたが、執行猶予期間中に窃盗と無免許運転で逮捕され、1年6ヶ月の実刑を言い渡されて服役。以後の消息は判明していない。
(転載ここまで)
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清田 益章(きよた ますあき、1962年4月30日 – )は、1970~80年代にかけて超能力者としてマスメディアに取り上げられた人物。「エスパー清田」とも呼ばれる。スプーン曲げなどの念力や念写などを披露した。2003年春に「脱・超能力者」を宣言し、イベント企画会社の代表を務める。
経歴
東京都生まれ。専修大学松戸高等学校、専修大学文学部卒業。1974年にユリ・ゲラーが話題になったのを機に全国で見出された、いわゆる「超能力少年・少女」たちの一人。
かつての超能力少年たちのほとんどがトリックを暴かれるなどして姿を消していった中で、青年になって以降も何らかの形で(その機会はきわめて数少ないながらも)メディア出演等といった表舞台で活動していたと言えるのは清田一人であった。
1974年には火星にテレポートしたと話しており、ゼネフという肉体を持たない宇宙人とは何度もコンタクトしていたという。
防衛大学校や電気通信大学等にて長年行われてきた超能力研究に積極的に参加。海外においても、さまざまな研究機関において超能力研究に有益な実験データを残している。
研究者の論文で日本のスプーン曲げの超能力者として「Masuaki Kiyota」の名前は有名で『超常現象のとらえにくさ』でも清田の名がみられる。
1984年にテレビ番組で、スプーン曲げと念写でトリックや不正をしていた一部始終が放送される(後述)。
1989年頃には「辻仁成のオールナイトニッポン」にも時折ゲストとして出演していた。 その後ミュージシャンへの転身を宣言、1990年にアルバム「さよなら神様」(MMG) にてロック歌手としてデビューしたが、8000枚を売るにとどまった。当時はさくらももこらの著名人との交流でも知られていた。しかしその後はメディア等への露出の機会も激減し、自由奔放な生活を送っていたとされる。
2003年春に「脱・超能力者宣言」をし、超能力実験の被験者になるのはやめたものの、テレビ番組やイベントではスプーン曲げを披露していた。
近年は「祈り」と「踊り」を組み合わせた「おのり」なるものを探求している。
2度結婚しているが、離婚している。妻との間に子供はいない。妻との離婚後に、2004年までバリ島に在住した。
2006年10月6日、知人から大麻13gを譲り受けたとして大麻取締法違反容疑で逮捕され、同年12月5日、東京地方裁判所にて懲役1年・執行猶予3年の判決を下された。
トリック使用と不正の発覚
1974年『週刊朝日』がスプーン曲げトリックを暴く記事を掲載する。これをきっかけに少年少女の超能力ブームは鳴りを潜め始める。
1984年2月3日のフジテレビ『金曜ファミリーワイド』「超能力を100倍楽しめる徹底解剖」で超能力ではなくトリックを使っているのを見破られ、その手口の一部始終を放映された。スプーンは力任せに曲げて、念写のポラロイドフィルムは事前にトイレで感光させておいてすり替えるという手口だった。
もともと番組の趣旨は、清田を7日間ホテルにカンヅメにしてスプーン曲げの全課程を撮影し、超能力を実証するというものだった。当初は番組ゲストの立花隆もすっかり信じ込んでいたという。
しかし2日目の撮影が終わると、スプーンが曲がり始めるのが常に人の目に触れないときであることにスタッフが疑問を抱くようになり、3日目に清田に気づかないようにそれとなく監視していたところ、人目を盗んで瞬時に力尽くでスプーンを曲げるのを立花隆らが目撃。4日目からは隠しカメラを何台も使って清田のトリックの瞬間を録画した。こうして最終的に清田のトリックを暴く番組になった。
これについて本人は「プレッシャー(テレビ局の圧力)などからたまたまインチキをしてしまっただけで、普段は超能力で曲げており、自分が超能力者であることは間違いない」と主張している。これについてフジテレビの宇留田俊夫プロデューサーは圧力やプレッシャーをかけた事実はないと反論した。
なお、『週刊少年サンデー』1974年7月7日号には手を触れないでスプーンを曲げる少年として登場。記事中では手に触れずにスプーンを曲げたということになっていたが、これは触れずに曲がったと書かないと掲載を拒否すると清田の父親から通達があったためで、実際には触らないとスプーンを曲げられなかった。しかし記事を落とさないためにやむなく事実をねじ曲げて、掲載したのだという。
「ユリ・ゲラー」は2014年に来日。相変わらず特殊な人間であるかのような扱い。
ユリ・ゲラー、スプーン曲げを生披露!「緊急来日!ユリ・ゲラーVS矢追純一超常記者会見」(1)|YouTube
矢追 純一(やおい じゅんいち、1935年7月17日 – )は、日本のディレクター、テレビタレント、疑似科学作家。
1935年、満州国新京生まれ。電機学園高等学校(現:東京電機大学高等学校)を経て、中央大学法学部法律学科卒業。
1960年、日本テレビ入局。制作局在職中に『11PM』や『木曜スペシャル』で超常現象を扱ったドキュメンタリー風オカルト番組を数多く手掛け、自らも番組出演する名物ディレクターとして売り出された。
「キワモノ専門の呼び屋」康芳夫と結託して、『石原慎太郎の国際ネッシー探検隊』(1973年)、『超能力者ユリ・ゲラー』(1974年)、『オリバー君来日』(1976年)等の話題作を次々と仕掛け、時代の寵児となったが、スプーン曲げで追従した関口少年のトリックが見破られて超能力ブームが一気に終息したため、1970年代末以降はUFOネタを主に扱うようになった。
(転載ここまで)
「矢追純一」は、関口少年のトリックが暴かれ、超能力ブームが終息したためにUFOネタを主に扱うようになったとの事。UFOも宇宙人も大嘘。
以下のリンクを参照
RAPT | 現代人にUFOを開発する技術がないという大嘘。http://rapt-neo.com/?p=24847
RAPT | UFOが宇宙人ではなく、天皇派の乗り物であるという幾つもの証拠。http://rapt-neo.com/?p=24812
RAPT | 天皇派が既にUFOを開発しているという確たる証拠。http://rapt-neo.com/?p=24898
RAPT | 宇宙人を否定する人間を裏社会の人間と決めつける前に、もう一度、我々の敵が宇宙人なのかどうか深く考え直してみましょう。http://rapt-neo.com/?p=19326
RAPT | 佐野千遙氏に関する調査結果のまとめ。またはこの世の超常現象が全て天皇派の科学技術によって引き起こされてきた可能性について。http://rapt-neo.com/?p=25021
RAPT | 世界中のレイラインを生み出したのは宇宙人ではなく、人工衛星「黒騎士の衛星」です。http://rapt-neo.com/?p=25252
RAPT | 世界の支配層たちが古代から高度な科学技術を密かに独占してきたという幾つもの証拠。
80年代頃に作られた「矢追純一」のUFOドキュメンタリーは、最近の都市伝説番組やUFO、宇宙人特番より良く出来ている。
「矢追純一」の現在の活動状況は不明です。
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その他過去に放送されていた超能力特番で、「FBI 超能力捜査官」という人達が出演していましたが、彼らもただの嘘。🤦🏻♀️
超能力捜査官(ちょうのうりょくそうさかん)とは、日本のバラエティ番組などにおいて、超能力を使って犯罪などの捜査に協力する人間がいる、というようなことをあたかも本当かのように思わせるために用いられる、その人間の呼称を指す。
肩書きとして「FBI超能力捜査官」とも銘打たれるが、アメリカの警察やFBIにそのような役職はないうえ、FBIの職員は法律によりアメリカ国外での活動が禁止されている。日本のバラエティ番組で登場する肩書きは真実性を無視した過度な演出といえる。
(転載ここまで)
超能力によって事件の犯人の居所や特徴などを当てて数々の事件を解決するという実績の証拠はなく、FBI超能力捜査官という職業も存在していない。
外部リンク
「FBI超能力捜査官」が透視したオウム逃亡犯 山本弘のSF秘密基地BLOG – オタクの電脳
「※あくまで超能力を持つという○○の見解です」と左上に書いてある・・・。彼らはただの詐欺師。
「菊地直子」は既に死んでいるというのが「超能力捜査官」の見解だったそうだが、外れ。
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外部リンク
「FBI超能力捜査官」は、「超能力」を使って以下のような事も実践していたらしい。
このような「超能力者」は「透視能力」を無駄なことにも使う。息抜きのつもりかも知れない。
この架空の存在である「FBI超捜査官 ジョー・マクモニーグル」の現在の活動状況は不明。
今後このようなヤラセの超能力者は活動の場を失うでしょう。
God in disguise|YouTube
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マタイによる福音書第14章 22節~33節
Demon Magicians: Episode 4 – Reveal THIS (Water to Wine)| YouTube
ヨハネによる福音書第2章 1節~12節
聖書では魔術や嘘は罪とされてるが、トリックがあるのに「超能力」であるとおもわせ霊感商法を働いたり、悪魔崇拝を使っていたりすれば問題ですが、単にトリックがある手品を披露しているのをエンターテインメントとして見ている分には問題ないと思います。
このようなオカルトは終わりに向かっているようです。
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RAPT | 悪魔を拝んで人生を破壊する生き方から、神様を拝んで人生を幸福にする生き方へ。http://rapt-neo.com/?p=26065