良いことだけを引き寄せるスピリチュアル系の人やその知人が病気になったらこうなる
普通の人として生きた方が余程マシだと思えます。
彼らは「起きる事全てが自分が選んで引き寄せた結果だ、だからプラス思考をして、良い事だけを引き寄せなさい」とメッセージを送る教祖様ですから、そのような人が病気やトラブルを起こしたらどうなるか・・・まして嘘が発覚などしたら大変です。
夫を白血病で亡くしたエスター・ヒックスの場合
Yahoo!知恵袋より転載
エイブラハムの引き寄せの法則で有名な滑稽引き寄せマスターのエスター・ヒックスは、
なぜ夫のジェリー・ヒックスの死という出来事を引き寄せたのでしょうか?
ジェリーが死ぬように毎日アファメーションでもしていたのでしょうか?
ジェリーが死ぬことを強く願っていたのでしょうか?
ジェリーが死ぬように潜在意識にすり込んでいたのでしょうか?
ジェリーが死ぬように願い、その願いを長文で紙に書いていたのでしょうか?
あたかもジェリーが死んだように振る舞っていたのでしょうか?
ジェリーが死んだような波動を出して毎日生活していたのでしょうか?
ジェリーが死ぬことをイメージングして、ほっとしていい気分に浸っていたのでしょうか?
ジェリーが死ぬことをイメージしてさらに行動して現実化させたのでしょうか?
「求めよ。さらば与えられん」というように、ジェリーが死ぬことを求めていたのでしょうか?
ジェリーが死ぬという現実を引き寄せることに100%成功したということでしょうか?
引き寄せマスターなのですから、ジェリーが死なないという現実を引き寄せることも出来たはずです。
ヒックスはジェリーのことを憎んでいたのでしょうか?
何か恨みでもあったのでしょうか?
補足tobenaiahiru3さん
ジェリー・ヒックスはなぜ病気を引き寄せたのでしょうか?
引き寄せマスターなのですから、健康を引き寄せることも出来たはずです。
自ら病気を引き寄せて死のうとしたのでしょうか?
自殺なのでしょうか?
笑ってはいけない。
普通誰かが亡くなったらこんな事を言わて笑いものにされたりはしません。
それにジェリー・ヒックスは87歳で亡くなったそうです。普通なら長生きと思われます。
彼の死は何かが間違っていたのかと思われることもありません。
エスター・ヒックスが言うには、
「ジェリーの死に方には、全く間違ったところがなかった」のだそうです。
そしてあらゆる死は自殺なんだそうです。
死ぬ時期を自分で選んでいるのだそうです。
その人の死の選択を変える権利は他人にはなく、
その人の選択を、痛みをもって経験するか、喜びをもって経験するかは自分が決めることだから、
エスターは夫の死を喜びをもって経験することを決めたそうです。
(こちらより転載)
★ ジェリーの病気、今年5月には「蜘蛛にかまれた(spider bite)」と説明。実は、その直後にジェリーは化学療法(キモセラピー:強い化学薬品を使って腫瘍の成長を阻止する。)を集中的に受けていた。不自然に長い沈黙の後、正式な病名を発表したのは、ジェリーの死の直前と言っても良い、11月に入ってから。
一部のファンの間には、「正直に『白血病と闘っている』と言ってくれればよかったのに。誤魔化さないでほしかった。失望した。」との声も上がっている。
ヒックス夫妻は常々、「医療保険には入らない。健康診断も受けない。でも大丈夫!」と、健康には絶大なる自信を持っていた。それだけに、今回ジェリーが病魔に倒れたことで、エイブラハムの教え自体に幻滅した人が多数出ている模様。
(とはいえ、ジェリーさんだってごく普通の人間ですよ...何と言っても御年87歳ですからね!)
(中略)
★ 質問者は、皆、切実な問題を抱えて、高い料金を払ってセミナーに来ている。なのに、最近のエスター(エイブラハム)は、人格が変わってしまったかのように質問者を邪険に扱ったり、ひどい場合には最前列に呼んでおいて、一言もしゃべらせないまま追い返したり、といった、傍から見ても気の毒な場面が目立つ。
★ 「内部の者」と名乗る人が言うには(←これ、信じるかどうかは皆さんの判断に委ねます。)、
「指導霊集団・エイブラハムは、もうエスター・ヒックスから出て行ってしまった(left the building)」...らしい。これ、2009年の発言です。
(中略)
残念です。
いろいろな意味で。
あぁ、日本にいた頃にも似たような話を聞きましたっけ。
世間から見れば、地位も、名誉も、そして精神性の高さも申し分無い、と誰もが認めるような「指導者」なのに、陰ではお金儲けに走り(身内の経済事情が絡んでいたそうですが)今まで支えてきた人々を裏切ったり、貶めたり、傷付けたりした...という話。
どこの世界にでもあるんですね、この手の話って。残念です。
(転載ここまで)
,
left the building =Elvis left the building
Elvis has left the building . The show has come to an end. It’s all over.
ショーは終わった。全て終了したと言う意味。プレスリーのコンサートが終わっても、アンコールを期待してなかなか帰ろうとしないファンに向かって「エルビスはもうこの建物を出ました」とアナウンスを流して、ファンが会場から去るよう促したことが始まり。
なぜその無限の叡智の集合体の霊が離れてしまったのでしょうか。
いくらポジティブに生きても仲違いというものがあるのでしょうか。
理由がはっきりしません。
スピリチュアル系の人たちは死後に関して死というものは無いだとか、死は解放だとか、
下手をしたら殺されても死後の解放感を知るようになるだとか、
亡くなったら誰でも恍惚とした状態になって喜びや愛しかないと語りますが、
誰に聞いたのですか・・・・。サタンですか。
どうしてただの人間にそんなことが言い切れるのか・・・一度死んだのですか。
死後嘘だとわかっても、誰も責任を取ってくれません。
もう霊だけの世界に来てしまったら、裁判所も何も、ありません。
神に縋り付いても、もう遅いかもしれません。
以下、自分の身内の病気についてスピリチュアルな相談をしている記事のコピペです。
甲状腺を患い55歳で亡くなったジェーン・ロバーツの場合
(こちらより転載)
J. R. の質問:
わたしたち人間の観念は強力なもので、ジェーン・ロバーツほど個人的経験が(豊富に)ある人でさえ、何ヶ月もの入院生活のあとに亡くなったくらいです。彼女ほどの人でさえ、病気に対する観念を振り払うことができず、それに負けてしまったわけです。
あれほどの経験や知識があり、明らかに深く理解している人が、どうして、病気という幻想を信じ、病院で朽ちていくなどということができたのでしょうか?
もし、彼女が自分の時間を使い切って、すべて成し遂げたのだとしたら、それは、むしろ、病気という幻想の中で最期を迎えることなど自分に対して許さない理由にこそなれ、その逆の理由にはならないでしょう。彼女が亡くなった様子を考えると、よくわからなくなります。このことについてご意見を聞かせていただけるでしょうか?
バリーの回答:
ジェーンはわたしたちと同じ(普通の)人間だったということを思い出す必要があります。
セスは彼女を通してわたしたちとコンタクトを取り、話をしたわけですが、それでも、ジェーンには、セスのアドバイスに従ったり、彼の概念を自分の生活に取り込んだりする能力がわたしたち以上にあったわけでも、わたしたち以下だったわけでもありません。
自分自身を「損ねる」観念や不快な観念を彼女が心の奥深くに抱えていても、その観念をセスが無理矢理変えることはできなかったということです。
ジェーンはわたしたちみんなの人生にセスを引き入れてくれたわけですが、それによって一度「解き放たれた」セスのメッセージは、わたしたちが頭で受けとめるのと同じように、彼女自身も頭で(理屈として)受けとめていました。
彼女には確かに、個人的なことを尋ねる機会はわたしたちよりもずっとあったわけですが、セスのアドバイスに従って行動する力がわたしたちに勝(まさ)っていたわけではありません。ごく普通の友人関係と同じことです。
友達が何か「間違っている」ことをしているのを見たとします。でも、あなたがいくら、なだめすかそうと、説教しようと、本人が聞く耳を持たない、あるいは持つことができないかぎり、あなたのメッセージが届くことはないし、それに応えることもできないわけです。
(転載ここまで)
ジェーン・ロバーツが子供の頃からの度の強い眼鏡を外せなかったのは観念のせいですか。
それに何年も悪魔が憑りついていたようなものだから、健康を損なってもおかしくはない気がしますが・・・・・セスはウィジャボードを通して現れた悪魔です。
(こちらより転載)
ベヴの質問:もし、自分が自分の現実をつくるということを信じていて ── 実際、たいていの日は、そう信じているのですが ── 自分の犬がてんかん(発作などを起こす脳疾患)だとわかったら、わたしがその状況をつくったのだと信じなくてはなりません。
ですから、今、わたしは自分の犬を観念のせいで苦しい目にあわせたような気がしています。どうしたら、この状況にもっとポジティブな点を見いだせるでしょうか?てんかんに対して、ものすごく責任を感じているのですが、それをどうポジティブなものに変えられるのか、わかりません。
(管理人:このように、スピリチュアル系の人は余計なことに罪悪感を抱き、責任を感じて、悩みます。 そして回答)
バリーの回答:
あなたはあなた自身の現実をつくるのであって、あなたの犬の現実をつくるわけではありません。
あなたの犬は何らかの理由で、自分に対して、そのてんかんを創り出したわけです。あなたの現実は、いつの日か、てんかんを発症することになる犬を飼うことを、その犬と「合意した」ということです。
あなたの胃の中のウイルスとか、足首のねんざとか、その他、あなたが今までにかかった病気、あるいは、いつか、かかるかもしれない病気の原因は犬の観念にあるわけではありません。それと同じように、犬のてんかんも、あなたの観念が引き起こしたわけではないということです。
この状況においてポジティブな点は、それがあなたのせいでは全くないということ、そして、あなたの犬の精神とパーソナリティー、そして、その犬があなたに与えてくれた喜びは、ずっと生き続けるだろうということです。
あなたの犬が死んだとしたら、それは、その犬が、ただ、わたしたち人間の感覚器官では知覚できないエネルギーの形に変わったにすぎません。その犬は物質的現実界のカムフラージュからは離れますが、それでも引き続き、あなたやわたし、あるいはセスと同じくらい生きていることに変わりはないでしょう。
あなたの人生に、こうした病気が入り込んできた時には、どんな気持ちが湧いてくるか、よく確かめてみてください。
(たとえば)とがめられることなど何もしていないはずなのに、どこか罪の意識を感じるのであれば、ひょっとしたら、あなたの生活には、どこか他に、悪いことなどしていないのに罪悪感を覚える部分があるのかもしれません。
もしかしたら、あなたの犬は、病気や死、あるいは別離などといった、精神に関わる観念や考えをあなたが調べてみる、または調べ直してみるのを手伝ってくれているのかもしれません。
一度、観念をきちんと調べてみると、それが生活の他の分野や他の人間関係(またはペットなどとの関係)で役に立つでしょう。
動物は、わたしたち人間が考えているような死は存在しないことを心の奥底でわかっています。
あなたの犬がなぜ、てんかんになることを選んだのかはわかりません。ただ、わたしに言えるのは、その状況において、あなたにはとがめられるようなところも罪も全くないということです。
わたしが常日頃から(みんなに)勧めていることですが、そうしたできごとについてもっと学ぶには、回答を与えてくれる夢を見られるよう、毎晩、自分自身に頼んでみることをお勧めします。
(転載ここまで)
(こちらより転載)
4f. わたしの母が亡くなった日、わたしの従姉妹(いとこ)は 18 歳の娘を飲酒運転の交通事故で失ってしまいました。できるだけ慰めたり支えたりしてあげたのですが、そんなに悲惨な形で我が子を亡くした人に向かって「偶然というものはない」などと説明するのは、とても難しいことです。あなたなら、そんな親御さんにどう語りかけますか?
それはわたし自身、ダンデの「事件」の後に自問したことの1つです。死とは何か?偶然とは何か?この2つの問いに対する答えが、他の人に対する話しかけ方にもつながってきます。
こういう場合はどうするか、いろいろな人に聞いてみたのですが、全般的な回答として得られたのは、セスをよく知っている人たちの場合、悲しみにくれている相手の観念体系(価値観)をわきまえ、それに合わせて言葉をやり取りするということでした。
悲しんでいる人たちに向かってセスの語る数々の概念を高々と掲げようなどとはせず、その人たちを助けるべく、セスの観念をできるだけうまく、できるだけそっと使おうとするということです。そうした人たちの感じている心の痛みを否定したり軽んじたりしないようにものを言わなくてはなりません。
彼らがセスの概念を信じていたとしたら、そうしたことを感じる必要はないのだとわかっているにしてもです
(転載ここまで)
(こちらより転載)
また、こう言われて辟易(へきえき)することもあるでしょうが、犠牲者というものはなく、死も存在しません。ホロコーストで亡くなった人たちはみんな、現実界のいくつかのレベルでそれに同意したわけです。
わたしたちにはそのレベルのことが、生活の中では、霊的で時間を超えた(「目が覚めている側」に対して)夢の側の領域でしか意識的にわかっていません。そこでは、死とは、わたしたちが三次元の世界で考えているようなものとは違うことがわかるわけです。繰り返しますが、選択はいつでも自由です。
また、何よりも大事なのは思いやりの心です。でも、こうしたドラマを演じきることがなかったら、ほかにどうやって、仲間たちとのつながりや思いやりの大事さを体験し、学び、感じることができるでしょう?
また、こうした盲目性や残虐性を存分に発揮する“邪悪な”人々がいなかったとしたら、他にどうやって、こういうドラマを演じきることができるでしょうか?わたしたちはみんな、この世で輝いていたり愚かだったりするのには(それなりの)理由があるわけです。
わたしなら、こうした“出演者”すべてについて、あらゆるシナリオを観察することでしょう。単にまた何人かのバカな人間が物質的な世界で愚行を働き、それがこんなにも多くの恐怖、心配、涙、悲惨さを産み出すことになる、そのシナリオを。
彼らは単に猫の一匹でも見つけてきて、ヒモでも取り出して(その猫と)遊んだり、その後、外にビールでもペプシでも飲みに行ったりしていればいいのに、なぜそうしないのか。エッチしたり、スクラブル(ボードゲーム)をやったりしたっていいわけです。食事して、ジョークを飛ばして、その後はバスルームに行って歯を磨いて寝ればいいのです。
あとは勝手に地獄に落ちればいいのにという事ですか?
スピリチュアルな相談というものはどれも冗長でわかりにくいし納得しないと思うのは私だけですか。
悲惨な事件や事故に巻き込まれた人は現実のいくつかのレベルでそれに同意したのでしょうか。
ひとが病院にいるときにそんな話を聞きたい人がいるのでしょうか。
私なら病室から追い出しますが。
なぜこの方が死後について断言できるのでしょうか。何か証明できるならして頂きたいものです。
この方はさぞ優れた人格の持ち主なのでしょう。
私はこのような話が出来るようになりたくはありません。
スピリチュアル系は悪魔崇拝ですので、現在関わりのある方は、足を洗う事をお勧めします。
スピリチュアル系と悪魔崇拝については以下のリンクを参照してください。
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