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当ブログはほぼすべて長文になっております。あらかじめご了承ください。

マリア信仰 ルルドの泉の奇跡

フリー絵画 アンニーバレ・カラッチ作「聖母戴冠」
聖母の戴冠・・・という大嘘。

世界各地のカトリックの教会などに『聖母の戴冠』という絵があります。

こちらの絵は、イエス・キリストと神(創造主ヤハウェ)と思われる男性が、マリアに冠を載せようとしています。

イエスが神の一人子であるはずなのに、まるでマリアが最も偉大な聖人であるかのような描写です。

イエスの母マリアはイエスを産んだ母親であると聖書には書いてありますが、それ以外ではマリアが奇跡を起こしたような記述も、神の御心を成したという記述も特にありません。いつ頃に亡くなって、天に召されたという記述もありません。

それなのに世界各地のカトリックの教会などでは、『聖母の戴冠』の他に、『聖母被昇天』、『無原罪の御宿り』など イエスの母マリアをイエス・キリストよりも偉大な聖人であるかのように描かれた絵や、マリアの偶像が飾られています。

 

関連画像
聖母の戴冠

 

「聖母マリア」の画像検索結果
聖母被昇天

 

聖母被昇天  天上で神と天使がマリアを迎えているように描かれている。

 

関連画像
無原罪の御宿り

 

『聖母被昇天』や『聖母の戴冠』など、各地の教会などで同じ題名の絵が多数の画家によって描かれているのですが、カトリック教会でこの題名、題材で描くようにと決められたのでしょうか。

 

 RAPT|フリーメーソンのマークは1万年以上も前から存在した。「ホルスの目」に隠された悪魔の真相。http://rapt-neo.com/?p=11809より転載。

 

フリーメーソンだけでなく、バチカンも悪魔崇拝者に完全に乗っ取られています。今やカトリックはキリストを信じる教団などではありません。完全な悪魔崇拝のための教団です。それはこのブログでも何度も書いてきたことです。

本来、キリスト教では偶像を拝むことは禁止されていますが、バチカンおよびカトリックの教会に行けば、どこにでもイエス・キリストや聖母マリアの偶像が飾られ、人々がそれを拝むようになっています。これは明らかに聖書の教えに反しています。

聖母マリアを拝むこと自体もキリスト教の教理に反しています。聖母マリアはただイエス・キリストを生んだ母親であり、特にキリストに対して敬虔な信仰を持っていたわけでもありません。むしろ、自分の息子がメシアであることすら信じていなかった節があります。

確かにキリストの母親なのですから、尊敬すべき対象ではあるのかも知れませんが、決して崇拝したり信仰したりするような対象ではないはずなのです。現にプロテスタントでは、聖母マリアを信仰するようなことは決してありません。

にもかかわらず、カトリックでは当たり前のように聖母マリアのことを拝ませています。恐らく悪魔崇拝者たちは、神でもないものを神として拝ませることで、キリスト教の信仰を根本的に破壊しようと企んできたのでしょう。

(転載ここまで)

 

カトリック信徒の多い国では、8月15日が聖母の被昇天を記念する祝日になっているそうです。

 

聖母の被昇天(Wikipediaより転載)

聖母の被昇天(せいぼのひしょうてん)とはカトリック教会の用語で、聖母マリアがその人生の終わりに、肉体と霊魂を伴って天国にあげられたという信仰、あるいはその出来事を記念する祝日(8月15日)のこと。1950年、当時のローマ教皇ピオ12世のエクス・カテドラ宣言によって正式に教義とされた)。

概要

元来は正教会生神女就寝が6世紀ごろに西方に伝わったものだが、信仰の内容はその後西方独自の発展を遂げた。西方での最初の記録はトゥールグレゴリウスによる(P.L.71.coll.708)。このころは1月18日に祝われていた。その後皇帝マウリキウスの時代に、現在の8月15日と定められた。中世から聖母の被昇天はスペイン・イタリア・ドイツ等で崇敬されていたが、とくにバロック期以降盛んに信じられるようになり、教義とされるに到った。

南ヨーロッパや中南米などカトリック信徒の多い国では、8月15日が祝日となっている。日本でもカトリック教会では「聖母の被昇天」を祝う祭日とされているものの、この日が多くの地域でお盆にあたり、終戦の日でもあることからマスコミではほとんど扱われない。

また、カトリックでは伝統的に、イエス・キリスト同様マリアもアダムの罪(原罪)から保護されたと信じられてきた。この無原罪の御宿りを祝うのが12月8日の無原罪の聖マリア の祭日であり、1854年に定められた。

正教会では8月15日(ユリウス暦の場合はグレゴリオ暦の8月28日に相当)に生神女就寝祭を祝う。これは「聖母の被昇天」とは違い、マリヤの死を「就寝」「眠りにつく」とし、原世の肉体でそのまま天にあげられたとはみなさず、むしろ魂のみが天にあげられ、来世の栄光の体を与えられたとする。またマリヤ信心は信仰のうちにおのずとくだされる私的啓示として理解されるものであり、教義として理屈抜きで信じるべき内容ではないと考える。

図像学的には、聖母の被昇天がマリアを成人の姿で描くのに対し、生神女就寝は、現世での生を終え眠りについたマリアの亡骸の傍にキリストが立ち、幼子の形をしたマリアの魂を抱き取っている姿で描かれる。ただし、就寝の三日後とされる、マリアが使徒たちに天の栄光において現れた場面では、東方教会においてもマリアは成人の姿で表される。

聖母被昇天の祝日に起きた主な出来事

(転載ここまで)

 

外部リンク

イエズス会と真言密教と浄土真宗と人肉食信仰「クロ宗」の奇妙な接点。フランシスコ・ザビエルを日本に招いた「ヤジロウ」から分かる悪魔教の現実。http://rapt-neo.com/?p=27883

生神女就寝祭(しょうしんじょしゅうしんさい)と読んだ時に悪魔崇拝者がイエスを産んだマリアが死んだことを祝ったように見えたのは私だけでしょうか・・・。

 

こちらより転載)

聖母被昇天祭

L’Assomption

カトリックの祝日である聖母マリアの被昇天祭は8月15日に行われます。この祝祭は今日、フランスではクリスマス、昇天祭、諸聖人の日とともに4つのカトリックの祝日に数えられます。

夏の8月中旬の聖母被昇天祭の前後を休日にする連休は、家族や休暇仲間に合流するために旅立つ勤労者にとって大型バカンスを思わせる休暇です。人々の熱気にあふれた和気あいあいとした時間は、多くの場合、あっという間に過ぎていきます。

フランスの多くの村では、8月に村祭りがあります。そこで、この連休に合わせて、村祭りが開催されることが多く見られます。

カトリック信徒にとっての意義

聖母被昇天祭はカトリックの信仰生活にとって大事な祝祭の1つです。地上の生活の終わりに、神とともにある聖母マリアの栄光を祝福する祭典です。マリアは死後、「天国に入る」ために地上生活から召し上げられました。被昇天祭(Assomption)はラテン語の「assumptio」が語源で、春の昇天祭(Ascension)とは区別されます。

何世紀もの昔から、とても親しまれている祝祭と聖母行列

被昇天祭は8月15日前後に世界各地に集まるカトリック信徒によって祝われます。フランスでは、おびただしい数の礼拝場所がマリアに捧げられます。

パリでは8月14日、カトリック信徒がサン=ルイ島とシテ島周辺のセーヌ川上で聖母行列を開催します。ル・ピュイ=アン=ヴレーのマリア祭やノートル=ダム・デュ・ピュイの国際的な聖母行列も有名です。ルルド大聖堂にも何千人もの巡礼者が、この機会に訪れます。

(転載ここまで)

 

カトリック人口(Wikipediaより転載)

統計上は約70%のフランス人がカトリックだとされているが、実際に教会に通い信仰を実践しているのは、全人口の10%以内であろうと言われている。

 

フランスの「カトリック消滅」https://online.sbcr.jp/2015/09/004112_2.htmlより転載。


教会に出席する信徒が大幅に減少すれば、教会は成り立たなくなり、司祭になろうとする人間も減っていく。
1950年代においては、フランスで司祭になろうとする人間は毎年1000人程度いた。
ところが、現在では毎年100人程度と、10分の1に減っている。その結果、2009年の時点で、フランスの司祭は8715名しかいなくなった。日本では、仏教の僧侶の数は、31万人もいる。
しかも、そのうち1315名は外国からやって来た司祭である。2025年には、フランスの司教区のうち3分の1は統廃合されることになるだろうと推定されている。
フランスは、18世紀終わりに起こった「フランス革命」によって、それまで絶大な権力を誇っていたカトリック教会の力が大幅に弱まった。それでも、人々の信仰は、それほど簡単には変わらなかった。

(中略)

日本人は「無宗教」ではない

日本人は、自分たちのことを「無宗教」であると考えている。特定の宗教を信仰していない、特定の教団には所属していないというわけだ。
その点では、フランス人も、日本人と同じように無宗教になってきたと考えられるかもしれない。
だが、日本における無宗教とフランスにおける無宗教では、まるで違う。
日本人の場合、自分たちは無宗教であるとは言いながら、宗教といっさいかかわらないわけではない。初詣には神社仏閣に出かけていき、葬式は仏式でやることが多い。ともに、外側から見れば、間違いなく宗教行為であり、意識と行動とのあいだに大きなズレがある。
逆に言えば、日本では、土着の神道の信仰も、6世紀の半ばに朝鮮半島から伝えられた外来の仏教が、長い間にわたって生きた宗教として根づいてきたと見ることもできる。

ところが、フランスでの無宗教は、まったく違う。
フランスでは、2011年に63パーセントがキリスト教徒としての自覚を持っているという統計を紹介したが、別の統計では、2010年の時点で、キリスト教徒の割合は44パーセントに過ぎないという結果が出ている(カトリックが41パーセントで、プロテスタントが2パーセント、その他のキリスト教が1パーセントである)。
それに対して、「無宗教・あるいは神の存在に対して懐疑的な不可知論」が29パーセントであり、さらに、「神の存在を否定する無神論」が13パーセントである。両者をあわせると、42パーセントになり、キリスト教の信仰をもつ人間の割合と拮抗している。

無神論は無宗教とは異なり、神の存在を積極的に否定する。これは、日本人のなかにはほとんどいない立場である。無神論であれば、教会にかかわることはいっさいない。また、他の宗教ともかかわりをもつことがないわけだから、日本人の無宗教とはまるで違い、宗教施設へ出掛ける機会はまったくなくなる。
フランスの無宗教の場合は、おそらくいろいろな立場がある。
自分はキリスト教の信仰をもっている、あるいは洗礼を受けているが、教会には行くことがないといった人間も含まれていることだろう。そうした人の場合には、結婚のときに教会で式を挙げたり、子どもが生まれれば幼児洗礼だけは授けておくという態度をとるかもしれない。その点では、日本人の無宗教に近い。したがって、無宗教と無神論を合わせた42パーセントが、まったく教会と無縁になっているとは言えないかもしれないが、フランスで急速な教会離れが進み、それが宗教そのものから離れていくことに結びついていることは否定できない。

(転載ここまで)

フランスのルルドでは、14歳の少女ベルナデットが、聖母マリアの導きによって発見された泉の水によって不治と思われた病が治癒する奇跡が続々と起こり、カトリック最大の巡礼地となったルルドの泉が有名ですが、少女ベルナデットは本当にマリアを見たのでしょうか。

見たのはマリアだけで、神やイエス・キリストを見ることはなかったようです。

マリアはイエスを産んだ女性であり、聖人と崇められる存在ではありません。

その女性は本物のマリアだったのでしょうか。

Wikipediaより転載)

ルルドの聖母は、フランス・ルルドで起きた、14歳の少女ベルナデッタ・スビルーを証人とする聖母の出現である。

ルルドの泉

聖母マリアの出現

1858年2月11日、村の14歳の少女ベルナデッタ・スビルー(フランスでは「ベルナデット」)が郊外のマッサビエルの洞窟のそばで薪拾いをしているとき、初めて聖母マリアが出現したといわれている。

ベルナデッタは当初、自分の前に現れた若い婦人を「あれ」(アケロ)と呼び、聖母とは思っていなかった。しかし出現の噂が広まるにつれ、その姿かたちから聖母であると囁かれ始める。

ベルナデッタ・スビルー

聖母出現の噂は、当然ながら教会関係者はじめ多くの人々から疑いの目を持って見られていた。ベルナデットが「あれ」がここに聖堂を建てるよう望んでいると伝えると、神父はその女性の名前を聞いて来るように命じる。そして、神父の望み通り、何度も名前を尋ねるベルナデットに、ついに「あれ」は自分を「無原罪の御宿り」であると、ルルドの方言で告げた。それは「ケ・ソイ・エラ・インマクラダ・クンセプシウ」 という言葉であったという。

これによって当初は懐疑的だったペイラマール神父も周囲の人々も聖母の出現を信じるようになった。「無原罪の御宿り」がカトリックの教義として公認されたのは聖母出現の4年前の1854年である。家が貧しくて学校に通えず、当時の教会用語だったラテン語どころか、標準フランス語の読み書きも出来なかった少女が知り得るはずもない言葉だと思われたからである。

以後、聖母がこの少女の前に18回にもわたって姿を現したといわれ評判になった。1864年には聖母があらわれたという場所に聖母像が建てられた。この話はすぐにヨーロッパ中に広まったため、はじめに建てられていた小さな聖堂はやがて巡礼者でにぎわう大聖堂になった。

ベルナデット自身は聖母の出現について積極的に語ることを好まず、1866年にヌヴェール愛徳修道会の修道院に入ってシスター・マリー・ベルナールとなり、外界から遮断された静かな一生を送った。ベルナデットは自分の見たものが聖母マリアであったことをはっきりと認めていた。例えば1858年7月16日の最後の出現の後のコメントでも「私は、聖母マリア様を見るだけでした。」とはっきり述べている。1879年、肺結核により35歳で没し、1933年に列聖された。

 

奇跡的治癒

ベルナデットが見た「聖母」は、ルルドの泉に関して次のような発言をしている。「聖母」はまずベルナデットに「泉に行って水を飲んで顔を洗いなさい」と言った。近くに水は無かったため、彼女は近くの川へ行こうとしたが、「聖母」が「洞窟の岩の下の方へ行くように指差した」ところ、泥水が少し湧いてきており、次第にそれは清水になって飲めるようになった。これがルルドの泉の始まりである。

ルルドには医療局が存在し、ある治癒をカトリック教会が奇跡と認定するための基準は大変厳しい。「医療不可能な難病であること、治療なしで突然に完全に治ること、再発しないこと、医学による説明が不可能であること」という科学的、医学的基準のほか、さらに患者が教会において模範的な信仰者であることが条件される。このため、これまで2,500件が「説明不可能な治癒」とされるが、奇跡と公式に認定される症例は大変少数(68件)となっている。

(転載ここまで)

関連画像

ヨハネの手紙 一 第4章1節~6節

偽 り の 霊 と 真 実 の 霊

1 愛 す る 者 た ち 、 ど の 霊 も 信 じ る の で は な く 、 神 か ら 出 た 霊 か ど う か を 確 か め な さ い 。 偽 預 言 者 が 大 勢 世 に 出 て 来 て い る か ら で す 。 2 イ エ ス ・ キ リ ス ト が 肉 と な っ て 来 ら れ た と い う こ と を 公 に 言 い 表 す 霊 は 、 す べ て 神 か ら 出 た も の で す 。 こ の こ と に よ っ て 、 あ な た が た は 神 の 霊 が 分 か り ま す 。 3 イ エ ス の こ と を 公 に 言 い 表 さ な い 霊 は す べ て 、 神 か ら 出 て い ま せ ん 。 こ れ は 、 反 キ リ ス ト の 霊 で す 。 か ね て あ な た が た は 、 そ の 霊 が や っ て 来 る と 聞 い て い ま し た が 、 今 や 既 に 世 に 来 て い ま す 。 4 子 た ち よ 、 あ な た が た は 神 に 属 し て お り 、 偽 預 言 者 た ち に 打 ち 勝 ち ま し た 。 な ぜ な ら 、 あ な た が た の 内 に お ら れ る 方 は 、 世 に い る 者 よ り も 強 い か ら で す 。 5 偽 預 言 者 た ち は 世 に 属 し て お り 、 そ の た め 、 世 の こ と を 話 し 、 世 は 彼 ら に 耳 を 傾 け ま す 。 6 わ た し た ち は 神 に 属 す る 者 で す 。 神 を 知 る 人 は 、 わ た し た ち に 耳 を 傾 け ま す が 、 神 に 属 し て い な い 者 は 、 わ た し た ち に 耳 を 傾 け ま せ ん 。 こ れ に よ っ て 、 真 理 の 霊 と 人 を 惑 わ す 霊 と を 見 分 け る こ と が で き ま す 。

ルルドの水の成分については以下の通り。

 

世界の名水紀行 ルルドの泉https://www.mizuhiroba.jp/meisui/sp/lourdes2011_oct.htmlより転載。

 

水のプロによる調査報告! 世界一有名な泉の秘密とは?

 

世界で最も有名な泉のひとつ、ルルド(Lourdes)の泉。19世紀、村の少女ベルナデッタが(聖母マリアの導きで)見つけたという湧き水がその後に多くの大病患者の治癒をしたといわれることであまりにも有名です。
湧水が人々にスピリチュアルな感覚を喚起させるのは、それが命の源であるとすれば自然なことかもしれません。
しかしルルドが単なる寓話で終わらないのは、ルルドでその水の治癒力を目撃し奇跡的治癒を綴った紀行書を出版したのが、後にノーベル生理・医学賞を受賞したアレクシス・カレル博士であったこと、そしてカトリック教会が科学的に証明できないとしてこの水による多くの奇跡的治癒を認めたことからです。日本のミネラルウォーターでも「ルルドの泉と同じ成分」「ルルドの奇跡、ゲルマニウムウォーター」といった喧伝が後を絶たないのも、ルルドの泉がその類で世界で最も有名なことに端を発しているのです。

そのルルドの泉、本当のところどうなのか?治癒力のある水など存在するのでしょうか。飲料水の専門商社で世界中の1,000種類以上の水を知るグローバルウォーターは、2011年10月、調査のため改めて現地に飛びました。

(中略)

ルルドの泉の成分を調べてみました

ルルドの水を模した奇跡云々を謳った水の多くが、その水に含まれる「活性水素」が活性酸素を除去してDNAの損傷を防ぎ、アンチエイジング効果があるというもの。しかし活性水素なるものとその効果は科学的に認められておらず、よって水広場ではまずpHを計り、追加的にORP(酸化還元電位)を測定しました。

結果  ●pH値:8.55(20℃)  ●ORP:133(20℃)

 

つまり、ルルドの泉はアルカリ性であり、比較的還元性(=酸化と反対という意味)の高いものであることがわかります。 
湧水のある洞窟湧水のある洞窟
(両画像:湧水のある洞窟)

ミネラルなどの溶存固形物が多い場合はアルカリ性になりにくいのですが、ルルドの泉は強アルカリではないにしろ、しっかりアルカリ性でした。次に亜硝酸性窒素とカルシウム、マグネシウムを調べました。(自然変化を考慮してレンジで示す)

●亜硝酸態窒素:検出せず
●カルシウム:45~50ppm ●マグネシウム:5~10ppm ●硬度:約130~170

 

亜硝酸性窒素は水の汚染度(動物の糞尿によるものも含む)を示しますが全く反応しなかったのには驚きました。殺菌消毒なしの生水では普通ないことです。原水がきれいでありつつも、多数の取水者が持ち帰ることを鑑み、除菌しているのでしょう。

 

カルシウムとマグネシウムは日本の水よりリッチながらフランスの平均的な水より若干少なめといったところ。石灰岩質ながら、そこで磨かれる時間が比較的短いピレネーの特性が数値にも表れているようです。

 

ルルドの泉と同じゲルマニウム入り云々という健康商材がありますが、弊社の見解はゲルマニウムと健康効果の関係に科学的根拠は示されていないというものであり、今回も計測対象としていません。
湧水の洞窟の左側に設置された取水場には世界中から毎日数千人にものぼる人々が取水に訪れます
(画像:湧水の洞窟の左側に設置された取水場には世界中から毎日数千人にものぼる人々が取水に訪れます)

 

まとめ: ルルドの泉はアルカリ性かつ石灰岩質の水

計測結果から導かれるルルドの泉質の特徴を短くまとめると、アルカリ性であること、そして石灰岩質の自然ろ過でカルシウムやマグネシウムを適度に含んだ水、となります。これは、水と健康に関する権威である東京医科歯科大学名誉教授の藤田紘一郎先生の60カ国以上での研究結果(アルカリ性の水はアンチエイジングと関連する、カルシウムを多く含む天然水は脳梗塞や心筋梗塞などを防ぐことがある、雪解け水の効用等)と整合するものとなっています。日本の水(特にミネラルウォーター)は火山岩質の地下水が多いため、同類の特性を持った水は、構造的・科学的にできにくいものといえます。
(藤田紘一郎先生の著書はこちら)

 

奇跡の水?

ルルドの水を飲んで病気が治ったという記録や言い伝えは多数存在しますが、ルルドの水による治癒なのか、あるいは他の要素が影響した中でたまたま水も飲んでいたのか、今となっては確かめる術がありません。

実際に調査して驚いたことは、カソリック信者以外にも大勢の人々がポリタンクやペットボトルを持って取水に訪れている事実です。つまり彼らは純粋にこの水の何らかの効用を期待しているということです。

 

ルルドの泉と日本のミネラルウォーターを比較すると?

ルルドの泉を日本のメジャーなミネラルウォーターと比較したのが下図です。日本の水は軟水(カルシウム少)で大体がpH中性であり、ルルドの泉やルルドと同じピレネー産ミネラルウォーターLuchon(ルション)とは性質が異なる水であることがわかります。

ルルドの泉と日本の水との比較

 

ルルドの泉の水を入手する方法?

ルルドの泉の水を飲んでみたいという人は、当然ながら、現地に行かれることが理想的です。丸一日かかる工程はしんどい、でもどうしても試したいという方、聖水として少量でもいいから送ってほしい、という方は、保証はできませんが、ルルドの聖堂に直接問い合わせれば(英語を話す人もいます)、場合によっては対応してくれるかもしれません(ルルド大聖堂のホームページリンク)。

 

ちゃんとしたものを飲みたい、試したい、という方には、ルルドに続くピレネー山脈系の水源地バニエール・デゥ・リュションで採水され、成分も比較的ルルドの泉に近いミネラルウォーター、Luchon(ルション)が日本でも購入できるようになりました。アルカリ性(pH8)、カルシウムを適度に含む、不純物が極めて少ない、といった、水源が近いゆえに同じ特徴を持つ、フランス政府公認のナチュラル・ミネラルウォーターです。

(転載ここまで)

 

このルルドの水の成分は水素水だった!とネット上では書かれていることが多いですが、以上の調査では水素水のことについては書かれていません。その上この水素水には健康効果はないようです。

 

国民生活センターが指摘!水素水飲用の効果は消費者の誤解より転載。

 

大ヒット商品となっている水素水生成器。その広告内容について、独立行政法人国民生活センターは表示されている情報の解釈を誤らないよう消費者に呼びかけています。

消費者が誤って「水素水の飲用が健康維持に効果がある」と思い込んでしまうのはなぜでしょうか?
同センターによる水素水生成器の研究結果と、消費者が誤解しがちな現状をまとめます。

消費者を惑わす「活性酸素」への恐怖

水素水飲用や健康法とは関係なく、「活性酸素が人体に及ぼすとされている作用」を把握している医師はたくさんいることでしょう。活性酸素は有害であるという考えが、一般にもかなり浸透しています。
その一方で、水素水の飲用によって活性酸素を人体から除去できるかどうかは、現在のところ不明です。しかしながら、水素水生成器を販売する広告では、あえてその点が口酸っぱく解説されることはありません。

「老化」「疾患」「悪性」といった言葉をふまえ活性酸素がいかに人体に有害かを記した文章が、まず消費者の恐怖心をあおります。そこに医師の写真や名前が添えられていれば、説得力も倍増です。
「放っておいてはいけない恐ろしい活性酸素」についての知識を植え付けられた消費者には、「それをどうにか解決できそうな商品」に対する購買意欲が高まります。

水素水飲用による健康効果は消費者の誤解

水素水生成器は、水道水を電気分解し水素を発生させることで、活性酸素のひとつであるヒドロキシラジカルが抑制された「水素水」を作る装置だそうです。
しかし、ここで注目しなくてはいけないポイントがあります。水素水生成器の販売側もそれとなくきちんと表示している、以下の2点です。

注目するべきポイント
  • 水素で水の中のヒドロキシラジカルを抑制すること
  • 表示されている抑制率のデータは、人体への効果や効能を表すものではないこと

つまり、「装置で作った水素水の中のヒドロキシラジカルが本当に抑制されていたとしても、それを飲用することで人体に何らかの効果があるかどうかは証明されていない」ということになります。
飲むと健康になるというイメージはあくまで「イメージ」であり、残念ながら消費者の誤解に過ぎないのです。

国民生活センターの警告と生成器販売の現状

水素生成器の購入を検討する消費者のなかには、装置のうたい文句を疑問視する人もいます。
現に全国消費生活情報ネットワーク・システムには、2010年4月から2015年12月までの5年間あまりに、水素生成器の効果や活性酸素に関する相談が約220件も寄せられたそうです。

その現状を受け、2016年3月10日、国民生活センターは水素水生成器に関する研究結果を発表しました。消費者の誤解を懸念したものか、報道発表資料やウェブページは「活性酸素の一種を抑制する水をつくるとうたった装置-飲用による効果を表したものではありません-」と題されています。

資料のなかで、事業者に対しておこなったアンケートや各種テスト結果などとともに記された「消費者へのアドバイス」は以下の2点です。

国民生活センターが発表した「消費者へのアドバイス」
  • 「ヒドロキシラジカル抑制率」は、飲用による人体への効果を表したものではないこと
  • ヒドロキシラジカル消去能を測定する基準はないため、数値を効果の大きさと解釈すべきでないこと

これに対し、事業者側は説明内容の改善努力をすると回答していますが、果たしてどれだけ明確にされるのでしょうか?水素水飲用による健康効果のエビデンスが発表されるまでは、静観するほかありません。

いずれにせよ、医師をはじめ、人々が信頼をおく専門家の声は一般消費者に多大な影響を与えます。効果に裏付けのない商品の販売に加担してしまわないよう、何らかのインタビューを受ける際は十分に注意する必要がありそうです。

(転載ここまで)
外部リンク
このルルドの奇跡のベルナデットの遺体は、腐敗することなく現在もヌヴェールのサン・ジルダール修道院の大聖堂に安置されているそうです。

関連画像

関連画像

 

しかし本当にいつまでも腐敗しないという事があり得るのでしょうか。

 

こちらより転載)

ake********さん

ルルドの泉で聖母に出会ったという聖ベルナデッタは、没後長期間経って遺骸が腐敗していなかったことがわかって、奇跡だと言われ、ガラスのひつぎに移されて、ヌヴェールの聖堂に安置されているそうですね。

よく、その写真がウェブサイトに載っていますね。それを「奇跡、奇跡」とありがたがる人が多いですが、いろいろ調べてみると、実はあの遺骸はミイラ化が進んでいて、今のあのきれいな顔と手は、ロウで作られて、ひからびた本物の上にかぶせてあるマスクなんだとの情報が出てきました。

幻滅ですね。どうせそうなら、遺骸はお墓に埋葬しなおして、「奇跡」は「ルルドのお水」だけにとどめておいてほしいという気がするのですが、いかがですか?

ほかにも、腐敗を免れた遺骸と言われるものは、聖カタリナ・ラブレーとか、ピオ神父とか、いろいろありますが、ベルナデッタの場合と似たりよったりなのではありませんか?

もし、人為的に防腐液を注入して……というようなことでしたら、唯物論者レーニンの遺骸と同じであり、聖人がそれでは、かえって在天の霊魂に対して失礼にあたるのではないですか?

 

ベストアンサーに選ばれた回答

spe********さん

2017/7/310:50:56

。。。カトリック教会においては、確かに腐敗を逃れたことが聖人となる条件の一つになっていますね。

で、墓を開いた時に、腐敗を免れていることが判明した場合、直ちにローマ教皇庁に連絡して調査を受け、その後は蠟でコーティングし、墓から別の場所に移すことが教会法で定められているとされますね。
英語版Wiki https://en.wikipedia.org/wiki/Incorruptibility

だから、聖人の遺体で腐敗を免れたものは、ベルナデッタその他、全てロウでコーティングされてしまっているのでしょう。教会法で定められているのだから。

しかしながら、死去の後に墓の中で数ヵ月または数年後まで腐敗を免れていることは、どう考えても自然現象の外にあるSuper Naturalでしょう。
これについては、教皇庁の化学検査もあるようです。

(転載ここまで)

 

こちらより転載)

★聖ベルナデッタについて★

聖ベルナデッタ』は、死後何年後に発掘されたのでしょうか?
たま、何故現在も綺麗なお姿なのでしょうか?

 

ベストアンサーに選ばれた回答

mu_********さん

編集あり2010/9/3016:28:22

ベルナデッタ (修道名、スール・マリー・ベルナール) は
1879年4月16日、享年35才の若さでサン・ジルダール修道院の聖十字架病室で静かに息を引きとった。

【補足】
彼女の遺体は腐敗せず「何十年も変わらぬ姿のままである」と信じられているが、
1925年、彼女の遺体調査が行われた時には既に遺体の腐敗が始まっていたことが確認されている。
彼女の顔は黒く変色し、目は落ち窪んでしまっていたため内臓の一部を取り除き、彼女の生前の写真をもとにロウのマスクが作られた。

【遺体が腐敗してない理由・宗教的観点から】
彼女が「聖人」だからであると言われている。

【その他】
遺体が置かれた場所「土や温度」に関連性がある。(遺体が腐敗しにくい環境下にあった。)
遺体処理の仕方が良かった。(防腐処理等)
ハーバード神父が作成したリストによると42人の聖人のうち22人は「死後に経過した時間を考えると予想以上に良好な状態に保たれている。」らしい。
全ての聖人の遺体が彼女の遺体のように腐敗しなかったわけではないので『偶然』の結果とも言われている。
腐敗の進行と特異な例については、現在も研究が進められている。

(転載ここまで)

 

カトリックが作ったただの蝋人形かも知れません。

 

ルルドの泉には毎年約6万人の患者や病人を含む600万人の巡礼者や観光客を迎え入れ, 車椅子の観光客もよく訪れているようです。

関連画像

 
キリスト教では本来偶像崇拝は禁じられているはずですし、マリアも聖人として崇められる存在ではないのですが、このようにイエスの母マリアと磔にされたイエス・キリストの偶像が飾られています。
関連画像
少女ベルナデットが見た霊(?)が、本当にマリアかどうか疑わしいですが、(本物だとしても、マリアは奇跡を起こすような女性ではなかったはずですが・・・)ルルドの泉に訪れた人たちが癒されたりしたのならそれで良いことですし、訪れた人たちに対して批判等をするつもりはありません。その水も確かに良い水ではあるようです。水素水ではありませんが。
私はルルドの泉に行く機会があったとしても、マリア像に向かって祈ったり拝んだりすることは遠慮します。
検索をすれば、半身不随で車いす生活だった女性が、牧師(プロテスタント)の祈りによって癒され、歩き出す動画などをYouTubeで見ることが出来ます。(たいてい牧師は主の霊の力と言っています。誰も聖母マリアの癒しだとは言いません。)しかしそのような、「イエスの名によって病人やけが人に奇跡を起こす」動画は、イエス・キリストを使ったカルトのメンバーが出演していたり、悪魔崇拝者に関わりのある宗派から来ていて、ミスリードをされる疑いもありますので、調査をするなどして気を付けておいた方が良いと思います。

(加筆、修正あり)

使徒言行録 第8章4節~25節

サ マ リ ア で 福 音 が 告 げ 知 ら さ れ る

4 さ て 、 散 っ て 行 っ た 人 々 は 、 福 音 を 告 げ 知 ら せ な が ら 巡 り 歩 い た 。 5 フ ィ リ ポ は サ マ リ ア の 町 に 下 っ て 、 人 々 に キ リ ス ト を 宣 べ 伝 え た 。 6 群 衆 は 、 フ ィ リ ポ の 行 う し る し を 見 聞 き し て い た の で 、 こ ぞ っ て そ の 話 に 聞 き 入 っ た 。 7 実 際 、 汚 れ た 霊 に 取 り つ か れ た 多 く の 人 た ち か ら は 、 そ の 霊 が 大 声 で 叫 び な が ら 出 て 行 き 、 多 く の 中 風 患 者 や 足 の 不 自 由 な 人 も い や し て も ら っ た 。 8 町 の 人 々 は 大 変 喜 ん だ 。

9 と こ ろ で 、 こ の 町 に 以 前 か ら シ モ ン と い う 人 が い て 、 魔 術 を 使 っ て サ マ リ ア の 人 々 を 驚 か せ 、 偉 大 な 人 物 と 自 称 し て い た 。 1 0 そ れ で 、 小 さ な 者 か ら 大 き な 者 に 至 る ま で 皆 、 「 こ の 人 こ そ 偉 大 な も の と い わ れ る 神 の 力 だ 」 と 言 っ て 注 目 し て い た 。 1 1 人 々 が 彼 に 注 目 し た の は 、 長 い 間 そ の 魔 術 に 心 を 奪 わ れ て い た か ら で あ る 。 1 2 し か し 、 フ ィ リ ポ が 神 の 国 と イ エ ス ・ キ リ ス ト の 名 に つ い て 福 音 を 告 げ 知 ら せ る の を 人 々 は 信 じ 、 男 も 女 も 洗 礼 を 受 け た 。 1 3 シ モ ン 自 身 も 信 じ て 洗 礼 を 受 け 、 い つ も フ ィ リ ポ に つ き 従 い 、 す ば ら し い し る し と 奇 跡 が 行 わ れ る の を 見 て 驚 い て い た 。

1 4 エ ル サ レ ム に い た 使 徒 た ち は 、 サ マ リ ア の 人 々 が 神 の 言 葉 を 受 け 入 れ た と 聞 き 、 ペ ト ロ と ヨ ハ ネ を そ こ へ 行 か せ た 。 1 5 二 人 は サ マ リ ア に 下 っ て 行 き 、 聖 霊 を 受 け る よ う に と そ の 人 々 の た め に 祈 っ た 。 1 6 人 々 は 主 イ エ ス の 名 に よ っ て 洗 礼 を 受 け て い た だ け で 、 聖 霊 は ま だ だ れ の 上 に も 降 っ て い な か っ た か ら で あ る 。 1 7 ペ ト ロ と ヨ ハ ネ が 人 々 の 上 に 手 を 置 く と 、 彼 ら は 聖 霊 を 受 け た 。

1 8 シ モ ン は 、 使 徒 た ち が 手 を 置 く こ と で 、 〝 霊 〟 が 与 え ら れ る の を 見 、 金 を 持 っ て 来 て 、 1 9 言 っ た 。 「 わ た し が 手 を 置 け ば 、 だ れ で も 聖 霊 が 受 け ら れ る よ う に 、 わ た し に も そ の 力 を 授 け て く だ さ い 。 」

2 0 す る と 、 ペ ト ロ は 言 っ た 。 「 こ の 金 は 、 お 前 と 一 緒 に 滅 び て し ま う が よ い 。 神 の 賜 物 を 金 で 手 に 入 れ ら れ る と 思 っ て い る か ら だ 。 2 1 お 前 は こ の こ と に 何 の か か わ り も な け れ ば 、 権 利 も な い 。 お 前 の 心 が 神 の 前 に 正 し く な い か ら だ 。2 2 こ の 悪 事 を 悔 い 改 め 、 主 に 祈 れ 。 そ の よ う な 心 の 思 い で も 、 赦 し て い た だ け る か も し れ な い か ら だ 。 2 3 お 前 は 腹 黒 い 者 で あ り 、 悪 の 縄 目 に 縛 ら れ て い る こ と が 、 わ た し に は 分 か っ て い る 。 」

2 4 シ モ ン は 答 え た 。 「 お っ し ゃ っ た こ と が 何 一 つ わ た し の 身 に 起 こ ら な い よ う に 、 主 に 祈 っ て く だ さ い 。 」

2 5 こ の よ う に 、 ペ ト ロ と ヨ ハ ネ は 、 主 の 言 葉 を 力 強 く 証 し し て 語 っ た 後 、 サ マ リ ア の 多 く の 村 で 福 音 を 告 げ 知 ら せ て 、 エ ル サ レ ム に 帰 っ て 行 っ た 。

 

 

 

外部リンク

RAPT | 本当の自由とは。本当の幸福とは。悪魔の作った偽物の宗教に騙されないために幾つか知っておくべきこと。http://rapt-neo.com/?p=24624