イエス・キリストにより同性愛から解放された男性の証言
(改題)
イエス・キリストにより同性愛から解放された男性の証言についての動画を転載。
(追記)ニュースを見る限りでは、お茶の水女子大で「自分を女性と思う男性」は入学を許可するなど、世の中は同性愛者の人たちに寛容のように見えますが、このような記事をUP しても読む人はあまりいないようです。😐
誰も触れたくないという事でしょうか。それとも、このような人がいる事を知られたくないのでしょうか。
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(Lehigh Valley Japanese Ministries|YouTubeより転載)
「ホモセクシャルからの解放は可能か?」From Homosexuality to Holiness – Stephen Black
幼児期・青年期を通して男性から性的に歪められ、自分自身も同性愛の衝動に駆られるようになりました。滅びに向かっていく中、主の憐みと導きを受け、スティーブンは何を決心するのでしょうか。
(転載ここまで)
(Lehigh Valley Japanese Ministries|YouTubeより転載)
同性愛からの解放 – Kegan Wesley “Jesus’ Power Over Homosexuality”
小4でレイプされた後、同性愛の生活にはまってしまったケーガン・ウェスリー。痛みから解放されるために酒とドラッグとセックスへと走るが、ある時、イエス・キリストが真の解放を与えてくれたことを証している。
(転載ここまで)
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同性愛は生まれつきで変わらないのかと思っていたのですが、そんな事はないようです。このお二人の証言のなかで、自分がこのような被害に遭ったのは自分のせいだと考えたと語っていますが、スピリチュアル系も「全ては自分の責任」だとか、「全てはあなたが引き寄せている(あるいはあなたから創られている)のです」などと言って、悪魔の存在などひとつも語りません。そう語るスピリチュアル系(特にチャネリングなどで語る者)が悪魔としか思えません。
スティーブン氏は今や家庭を持ち、ケーガン・ウェスリーも信仰を持ってからとても幸せそうに見えます。
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私は映画が好きな方なのですが、それにしても世の中、映画のトレーラーなどを観ても、ここ最近は異性よりもこれでもかと同性愛ばかりでどうしたものかと。
同性愛がテーマなどでなくても、主人公が実は同性愛だったりする。またかと思う・・・・・
女装ネタも多い・・・・
(こちらより転載)
『君の名前で僕を呼んで』が最優秀映画賞 第29回GLAAD賞
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GLAAD(The Gay and Lesbian Alliance Against Defamation“中傷と闘うゲイとレズビアンの同盟”)が主催する第29回GLAADメディア・アワードが発表され、映画『君の名前で僕を呼んで』が最優秀映画賞を獲得した。
さすがに現代では、このような低俗な言葉に惑わされる人は少なくなりましたが、それでもアメリカでは未だに性的な退廃は続いているようです。実際、アメリカの有名なロックミュージシャンは相変わらず淫らなPVを乱発しています。シャキーラとリアーナの新曲のPVは明らかに同性愛を前面に打ち出したもので、コロンビアでは放送禁止騒ぎが起こりました。アメリカでは未だに淫乱な歌を歌うことが格好いいとされており、そのような曲こそが売れ筋となるわけです。
○PVが過激すぎて放送禁止に? シャキーラの新曲に波紋広がる
宇多田ヒカルがアメリカでデビューした際にも、日本で歌うような純愛の曲は歌わず、淫乱な曲を歌ってひんしゅくを買いましたが、その背景にはアメリカのこのような文化的風潮があったわけです。
そんなアメリカですから、当然ながら多くの人々が未だに性的な乱れを楽しみ、またそれが人間を幸せにすると思い込んでいます。というより、背後にそう思い込ませようとする人々が数多く存在しています。彼らはメディアを使って、人間の心を徹底的に蝕もうとしています。
いま現在、「アナと雪の女王」という映画が大ヒットしていますが、一部、ネット上ではかなり露骨な同性愛コードが多用されていると噂になっています。ディズニーは昔から映画中に様々な性的なイメージを混入させているとしてバッシングされてきましたが、今回のこの映画ではかなりそれが露骨になってきているようです。
映像のサブリミナル効果というものは以前から大きく問題視されており、このような猥雑なイメージが子供を対象とした映画の中に潜り込ませているなら、これはやはり大きな問題です。こんな話をすると、考えすぎだと言ってかえってバカにされる場合がありますが、そのような人たちの言葉には逆に何の根拠もなく、彼らの中には闇の組織の回し者が紛れている可能性があります。
しかも、今回のジョディ・フォスターの同性婚にしても、メディアはこぞって彼女のことを幸せそうに報道します。そして、華やかなイメージで報道します。同性婚という本来ならマイノリティーであるものを、まるで美しく華やかなものであるかのように報道するとは、もはや正気の沙汰ではありません。しかも、今のメディアはこのようなマイノリティーの人たちを少しでも悪く言おうものなら、人権侵害であるかのように賑やかにバッシングしたりもします。
私は映画人や音楽人を通して、このような形で性の乱れを促進しようとする動きがあることに絶対的に反対します。同じ音楽を愛する者として、このようなことは断じて許すことはできません。音楽は人の心を堕落させるためにあるのではありません。人の心を慰め、励まし、落ち着け、癒し、また高めるためにあるのです。芸術とは本来、高尚なものであり、高尚なものであるべきなのです。しかし、いつからか音楽や映画産業のほとんどが人の心を腐敗させ、堕落させるために利用されるようになってしまいました。
私はこのような風潮を心から憎みます。