悪魔召喚の呪文オームとマントラの効果(改題)

 

(加筆、修正あり)

スピ系に人気らしい、バシャールという偽宇宙人が、賛否両論スピ系の教祖さとうみつろうとの対談本『その名は、バシャール』の読者無料特典として、「バシャールが発する、地球における基本振動音❝オーム❞(聖音)」の動画を特別公開していたようですが、ワクワクとダウンロードをしたスピ系好きの皆さんは今すぐ聞くのを中止してアンインストールをしましょう。

それを聴いても意味がないどころか、悪魔の波長を受けることにもなりかねません。

スピ系のファンの方々は、マントラを唱える事や「オーム」と言う呪文には何の意味があるのかよく知らずに、人気のスピリチュアル系がそう言っているのだから良いことなのだろうと信じて、特に気にせずに毎日聴いている人もいるのかもしれないですが、もう止めた方が良いかと思われます。

オームは聖音と呼ばれるような呪文ではありません。

 

Wikipediaより転載)

マントラ(मन्त्र Mantra)は、サンスクリットで、本来的には「文字」「言葉」を意味する。真言と漢訳され、大乗仏教、特に密教では仏に対する讃歌や祈りを象徴的に表現した短い言葉を指す。

 

真言(しんごん)とは、サンスクリット語のマントラ(मन्त्र Mantra)の訳語で、「(仏の)真実の言葉、秘密の言葉」という意。『大日経』などの密教経典に由来し、浄土真宗を除く多くの大乗仏教の宗派で用いられる呪術的な語句である。 漢訳経典では、「真言」の他に「密言」、「呪」、「明呪」等と訳される

 空海は、真言について「真言は、不思議なものである。本尊を観想しながら唱えれば無知の闇が除かれる。わずか一字の中に千理を含む。この身のままで真理を悟ることができる。」と記している

「真言」は、サンスクリット語の「mantraを漢訳したものである

最初はバラモン教の聖典である『ヴェーダ』に、神々に奉る讃歌として登場し、反復して数多く唱えることで絶大な威力を発揮すると考えられていた。

後に、バラモン教に限らず不可思議力を有する呪文をことごとく「mantra」というようになった。

(中略)

この「mantra」を龍樹や玄奘は、「呪文」または「神秘的な呪文」の意味で「」・「神呪」等と訳し、善無畏や不空は、「仏の真実の言葉」の意味で「真言」、「仏の秘密の言葉」の意味で「密言」等と訳した。 また、「maṇḍala」の訳とする説もある

オーム(ओम् om、または ॐ oṃオーン〉)は、バラモン教をはじめとするインドの諸宗教において神聖視される呪文。

漢訳仏典では、“唵”(おん、口偏に奄)と音写される。

なお、日本では「オーム」と表記する事が多いが、oṃは「オーン」と読み、omは「オーム」である。

解釈

バラモン教

ヴェーダを誦読する前後、また祈りの文句の前に唱えられる。

ウパニシャッドにおいては、この聖音は宇宙の根本原理であるブラフマンを象徴するものとされ、特に瞑想の手段として用いられた。

また、この聖音 は「a」、「u」、「m」の3音に分解して神秘的に解釈される。これは、サンスクリット語ではauが隣り合うと同化して長母音oになるという音韻法則があるからである。

例えば『ブリハッド・アーラニヤカ・ウパニシャッド』では「a」は『リグ・ヴェーダ』、「u」 は『サーマ・ヴェーダ』、「m」 は『ヤジュル・ヴェーダ』の三ヴェーダを表し、aum」全体でブラフマンを表すと解釈された。

ヒンドゥー教

さらに後世のヒンドゥー教になると「a」は創造神ブラフマー、「u」は維持神ヴィシュヌ、「m」は破壊神シヴァを表し、全体として三神一体(トリムールティ)の真理を表すものとされ、民間においても浸透しており同教のシンボル的な意匠となっている。

仏教

この聖音は後に仏教にも取り入れられ、密教では真言の冒頭の決まり文句(オン)として、末尾のスヴァーハー(ソワカ)と共に多用された(例えば「オン アビラウンケン ソワカ」で大日如来の真言)。

また、仏教の経典『守護国界主陀羅尼経』では「a」は法身、「u」は報身、「m」は応身の三身を象徴し、すべての仏たちはこの聖音を観想する事によって成仏すると説かれる。

(転載ここまで)

 

(こちらより転載)

誕生、維持、破壊の3つは、ヒンドゥー教3柱の神が司ると言われてます。
シヴァ、ヴィシュヌなどの神の名前は聞いたことありませんか?
音は3つに分類され、創造神(ブラフマー)、保護神(ヴィシュヌ)、破壊神(ルドラ、シヴァ)を表すとも言われています。
また日本神道の祝詞や仏教の真言の「オン」などもオームに由来し、キリスト教の「アーメン」やイスラムの「アミン」の語源も同じとされています。

(転載ここまで)

 

キリスト教のアーメンは同じ語源ではないと思います。

 

世界大百科事典 第2版の解説

アーメン【amen】

ヘブライ語で〈まことに,確かに〉を意味し,結果責任を引き受ける姿勢や〈かくあれかし〉との願望を表明する語。契約,誓約,祈り,頌栄に用いられる。この旧約聖書ユダヤ教慣習をキリスト教も受容し,教会儀式,祈り,賛美歌,信条の結びなどに同意を示す意味で用いられ,新約聖書では〈アーメンたる者〉としてイエスを指すこともあった。典礼を重んずる教会で祈禱文の歌唱・朗唱後に用いられる。
(転載ここまで)
アーメンは神への契約、誓約、祈り、賛美などに用いられますが、マントラの目的はそのようなものではありません。

 

こちらより転載

「オーム」はマントラすべての基

マントラの効果もそれぞれ異なるが、それらすべての基になるのが「オーム〈AUM〉」である。オームが基となる種なのであり、宇宙の音、ヴァイブレーションの大本である。

西洋では「アーメン」。仏教では「阿吽(あうん)」と言われる。

『聖書』は、”はじめにことばありき。ことばは神とと主にあり。ことばは神なりき”といい、インドの古代聖典「ヴェーダ」は”ブラフマン(梵)の名はオームである。オームはブラフマンそのものである”と言っている。
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(Wikipediaより転載)

ブラフマンब्रह्मन्brahman)は、ヒンドゥー教またはインド哲学における宇宙の根源原理。自己の中心であるアートマンは、ブラフマンと同一であるとされる(梵我一如)。

ブラフマンは「全て」の源である。神聖な知性として見なされ、全ての存在に浸透している。それゆえに、多くのヒンドゥーの神々は1つのブラフマンの現われである。初期の宗教的な文書、ヴェーダ群の中では、全ての神々は、ブラフマンから発生したと見なされる。

Great indeed are the Gods who have sprung out of Brahman. – Atharva Veda
偉大なるものは、実に、ブラフマンの中から湧き出て来た神々である。 – 『アタルヴァ・ヴェーダ』

ウパニシャッドの哲学者は、ブラフマンは、アートマンと同一であるとする。ヒンドゥーの神々の体系では、ブラフマンはブラフマーと同一のものと見なされる。ブラフマー(創造者)は三神一体(Trimurti)の神々の1つであり、ヴィシュヌ(保持者)と、シヴァ(破壊者)とは本来同一とされている。

 

(転載ここまで)

ヒンドゥー教とブラフマーについて以下を参照。

 

仏教の「お経」や「真言」が悪魔を召喚するための呪文であり、仏教が悪魔教であるという確たる証拠。http://rapt-neo.com/?p=26306より転載)

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昨日は「釈迦」が悪魔崇拝者であったという確固たる証拠を皆さんにご提示しました。

やはり「釈迦」は紛れもない悪魔崇拝者でした。その確固たる証拠をお見せします

要するに、「釈迦」はブラフマー(梵天)という悪魔から指示されて悟りを伝えはじめたというわけで、しかもこのブラフマーはその後、なぜか「釈迦」の守護神にまでなったとのこと。

「悪魔」を守護神とする人物がまさか「聖人」であるわけがありません。

なので、「釈迦」は紛れもなく悪魔に遣わされた人物、つまり悪魔崇拝者であると断定せざるを得ません。

では、この「ブラフマー」とは何者なのかというと、昨日も言いましたように、「サナト・クマーラ」という悪魔の生みの親です。

で、この「サナト・クマーラ」はヒンズー教などに登場する神様です。

地底都市アガルタ (シャンバラ) が真の地獄であるという幾つもの証拠。

ヒンズー教は言わずと知れた悪魔教ですので、悪魔教の神が本物の神であるわけがなく、この「サナト・クマーラ」は間違いなく悪魔です。

で、この「サナト・クマーラ」が悪魔である以上、その生みの親である「ブラフマー」も悪魔に違いないわけですが、この「ブラフマー」に守護された「釈迦」のことを、日本人はずっと「聖人」として崇めてきたわけですね。

その一方で、私がちょっとブログに「キリスト」のことを書いたり「聖書」を推薦したりしただけで、この国では悪口やら中傷などのメールが殺到します。

要するに、悪魔たちとしては「本物の神様を日本人に教えるな。日本人にはこのまま悪魔を信じさせておけ」と言いたいわけです。

しかも、日本に「聖書」が広く普及して、多くの日本人が「聖書」を読むようになれば、私のように「天皇」の権威がいかにインチキであるかを知ってしまう人がたくさん出てきてしまいます。

なので、悪魔崇拝者どもは躍起になって日本人をキリスト教以外の宗教に帰依させようとしてきたわけです。(詳しくは以下のリンクをご覧ください。)

天皇について触れたとたん、裏社会からの攪乱工作が激しくなってきました。やはりここが彼らにとって一番の急所のようです。

しかしながら、この日本でも神道はなかなか普及させにくかった。そのため、神仏習合を行い、仏教を大々的に広めてきたわけでしょう。そうすれば、日本人の多くが「聖書」には見向きもしなくなりますからね。

その上さらに、NHKは「行く年来る年」を毎年の大晦日に放送し、国民ぐるみで「偶像崇拝」を行わせ、神様を冒涜させるよう仕向けています。

で、多くの国民が、自分の行いによって神様を怒らせているとも知らず、むしろ新たな一年を無事に迎えられたといって安心し、今年もいい年になるだろうと期待を寄せているわけです。

毎年のように初詣に行っても、人生に何の変化もないことなど、もうそろそろ気付いてもよさそうなものですが……。

しかし、問題は初詣だけではありません。

「釈迦」が悪魔崇拝者であると分かった以上、仏教を信じること自体が「悪魔」を拝むことに他なりませんから。

しかも、昨日の記事でも触れました通り、仏教で唱える「お経」は、まさに悪魔をおびき寄せるための呪文に他ならないことが分かりました。

「お経」と聞くと、私が先ず思い浮かべるのは「南無妙法蓮華経(なむみょうほうれんげいぎょう)」です。(私の家の近所に、熱心な創価信者の方がいて、毎日のように大声でこのお経を唱えていました。)

あと、有名なのが「南無阿弥陀仏(なむあみだぶつ)」ですね。マンガなどでお経を唱えるときには、おおよそみんなこの言葉を唱和します。

では、「南無妙法蓮華経」と「南無阿弥陀仏」との違いは何なのでしょうか。

先ず両方に共通しているのが「南無」という言葉です。これはサンスクリット語で「~に帰依する」という意味だそうです。

で、阿弥陀仏はもちろん「阿弥陀」という「仏様」のことで、「妙法蓮華経」というのは「法華経」のことです。

法華経 – Wikipedia

なので、これらのお経の意味はそれぞれ「阿弥陀仏」と「法華経」をひたすら信じ、敬うから救ってほしい、ということになります。

ネットを調べてみると、「南無は感嘆詞と思えばいい」ともありましたので、「ああ、仏様。法華経」といってすがるような感じなのでしょう。

しかし、この「阿弥陀仏」や「法華経」が本物の神様であれば特に問題はないのですが、当然、これらは本物の神様ではありません。悪魔です。

先ず「阿弥陀」ですが、これは大乗仏教の如来の一つだそうで、「大乗仏教」といえばかの悪名高き「密教」も含まれています。つまり、「密教」の神様でもあるわけですね。

大乗仏教 – Wikipedia

「密教」は悪魔教なわけです(詳しくはこちら)し、悪魔教の神が本物の神であるわけがないので、当然、この「阿弥陀」は悪魔ということになります。

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なので、「南無阿弥陀仏」と唱えると、「ああ、悪魔よ。あなたを敬います。あなたに帰依します。どうぞお救いください」と呼びかけるのと同じことになります。

果たしてあなたはこんな言葉を口にしたいですか。私としては、この言葉をここに書くだけでも気分が悪くなりました。

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(転載ここまで)

 

悪魔を呼び寄せながら、「ネガティブからポジティブなエネルギーに変わる」という事はあり得ません。

バシャールをはじめとしたスピリチュアル系の人たちは、このような悪魔教の神々を召喚するマントラを、「聖音」などと嘘をついて、大勢の人たちにに悪魔を呼び寄せようとしているのです。「感謝の無料プレゼント」で。

そんなものをどうぞ何度でも聴いて下さいと言うのです。どういうつもりでしょうか。

「そうだとは知らなかった」「わたしにも間違えることはありますよ」ととぼけるつもりでしょうか。彼らは確信犯です。

 

以下はオームの詠唱の動画の一例。

Om 108 Times – Music for Yoga & Meditaion|YouTube

霊的に敏感な方はお控え下さい。頭痛などの不調を起こされても一切の責任を負いかねます。

オームなどの人気のマントラの視聴回数が1000万回を超えてたりするのだから恐ろしい。毎日世界中で聴かれているのでしょうか。

レビューを観ればリラックスすると言うコメントが多数ある一方で頭痛がする、具合が悪くなると言う人もいます。私もマントラの意味を知らずに聴いていたことがありますが、もう聴く事はできません。

 

悪魔召喚であるマントラは、ヨガの始めや終わりにも良く用いられているそうです。

こちらより転載)

ヨガクラスのはじめや終わりに参加者のみなさんで唱える「OM」(オーム)。短いながらも、パワフルなバイブレーションとなり、発声すると、おなか、鼻の奥、口元という順に響いてくるのがわかります。そのナチュラルな振動に、心も体も深い癒しを得ると言われています。

「オーム」は一番短くて身近なマントラですが、実は、マントラの中でも最も崇高だと言われています。マントラは、ヨガでは神聖な音を意味し、日本語では「真言」と言われます。

「マントラ」の語源は、サンスクリット語の2つの言葉から成り立っています。「マン」は考えること、「トラ」は現象的世界の束縛やネガティヴな思考パターンから身を守ること、あるいは解放することを意味します。――『スワミ・シヴァナンダの瞑想をきわめる』(産調出版)より

(転載ここまで)

 

悪魔を呼び出す呪文で「ネガティブな思考パターンから身を守る」・・・。

あまり神や宗教の真実を教えてくれる人が現実にいないので、ヨガなどをわからずに実践する人がたくさん存在するのも無理はないのかもしれません。そのためにスピリチュアル系なども栄えてしまうのだと思います。

世の中の人たちは、自分の人生や健康のためと思って、ヨガや瞑想などを始め、マントラを唱えて瞑想し、悪魔を呼び寄せ、その後にヨガを懸命に身につけ、クンダリーニの昇華などを起こして、更に協力に悪魔を取り込んでいることも知らずにいるようですが、

クンダリーニ上昇の図。蛇は悪魔の象徴です。

そのヨガによって癒しや解放を得ていると信じている人がいる一方で、辛かったという人も少なくないようです。

 

 RAPT×読者対談〈第83弾〉アーシング、イヤシロチ、ヨガ……。余りに巨大な悪魔崇拝への入り口。より転載)

「ヨガ」を極めると、「悪魔」と通じることになります。(詳しくは以下のリンクをご覧ください。)

この世の神はとかく悪魔だらけ。ヨガ、アセンション、アガルタ関連の話には要注意です。

「ヨガ」の根本的な思想の中に「悪魔崇拝」があるわけですから、「ヨガ」にハマれば「悪魔」と何らかの接点を持つことになります。

そうすると、当然、その人は精神的に何らかの障害を抱え込むことになるでしょう。

それを「クンダリニー症候群」などと呼び、「霊的・精神的・身体的な準備ができていないにもかかわらず意図的または事故等によりクンダリニーがある程度覚醒してしまった」などと言い訳しているわけですが、こんな話は単なるこじつけに過ぎません。

「クンダリニー症候群」とは、「下手に霊的に過敏な状態になって、悪魔と通じてしまった」ことによって起きる症状です。

神様を知らずに霊的に過敏になれば、どうしても悪魔と通じやすくなります。この世には神様的なものより、悪魔的なものの方が多いからです。

なので、「ヨガ」をやって下手に霊的に敏感になってしまうと、悪魔の波長ばかりを受け、精神的におかしくなることは目に見えています。

(転載ここまで)

母親の友人に手相占いでヨガや瞑想をするだろうと言われたのがきっかけで、瞑想やヨガ、レイキ、チャネリング、自動書記、シャーマニズムなどな悪霊から来る体験をした女性の証言の動画を転載します。

(動画 Freedom in Christ |YouTubeより)
真理を探して、あらゆるスピリチュアル系のものに手を出した女性がイエスに出会い、救われて、解放された証です。
(転載ここまで)

「もし真理を探しているのなら、ニューエイジには関わらないでください。それは悪霊のものです。至福感とか喜びを感じても偽物です。それをもっと求めるようになり、どんどんはまってゆくのです。穴の中に落ちて行ってどんどん盲目になっていきます。悪霊の力が大きくなるからです。もしオカルトに関わっているのなら、聖書を自分で呼んでイエスを求めてみてください。」(証言より)

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それからオームの他に、ガーヤトリー・マントラといわれる真言が人気のようなのですが、

このマントラは、あらゆる不幸、恐れ、病気などを取り払い、願いをかなえてくれる最強のマントラと呼ばれているそうです。

歌詞は以下の通り(Wikipediaより転載)
オーム
(宇宙の始まりの音)
ブール ブワッ スヴァハ
物質界、心の世界、因果の世界に満ち満ちている
タット サヴィトゥル ヴァレーンニャム
至高たる、サヴィトリの、実在を讃えます。
バルゴー デーヴァッスヤ ディーマヒ
究極の精神の輝き、聖なる真理を、深く瞑想いたします。
ディヨー ヨー ナッ プラチョーダヤート
かの叡智によって、我らに光があたえられ、絶対の真理を悟ることができますように。

基本的にはこのようなものである。また、カタカナによる発音表記や意味は文献により異なる。

デーヴァナーガリー文字とラテン文字(IAST)での表記は以下のようになる。

ॐ भूर्भुवः॒ स्वः । oṃ bhūr bhuvaḥ svaḥ
तत्स॑वि॒तुर्वरेण्यं॒ । tat savitur vareṇyaṃ
भर्गो॑ दे॒वस्य॑ धीमहि । bhargo devasya dhīmahi
धियो॒ यो नः॑ प्रचो॒दया॑त् ॥ dhiyo yo naḥ pracodayāt

 

しかし、失礼ですが、インドの治安や社会情勢を見聞きした限りでは、あまり納得がいかないのですが・・・.

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インドには、強烈な身分制度があります。それがカースト制度exclamation×2
このカースト制度は、インド人と付き合う上で避けては通れない、必ず理解をした方がいい物のひとつです。カースト制度とは、大きく分けて「バラモン(僧侶)」、「クシャトリヤ(王侯・武士」)、「ヴァイシャ(平民)」、「シュードラ(隷属民)」に分けられていて、でも実際にはサブカーストが事細かく分けられているので、そのクラスは無数に存在します。
身分制度であり、職業制度でもあるようです。このカースト制度は、日本で言うなら「士農工商」のような制度と言ったところでしょうか。でも、実際の「士農工商」は知らないですけど、カースト制度はもっと強烈な感じもします。カースト制度とは、その一族に決められて階層で、親から代々その階層が子へ孫へ引き継がれています。つまり、その一族は二度とそのカーストの階層を変えることはできないのです。
強烈ですよねexclamation&question その一族がシュードラなら、ほぼ小間使い的な扱いを代々永遠に受けるんですよexclamation×2例えば、大金を拾ったとか、宝くじで当たったとかで、大金持ちになったとしても、そのクラスは変わることはできないんです。水と油の世界と言いますか、絶対に混じり合うことがないんです。お金や資産の問題とかではないんですexclamation×2カーストの下層のクラスは、誰もが嫌がる仕事、いわゆる手足を使わないとできない職業がこのクラスにあります。このクラスの人たちは、教育もまともに受けられない人も多く、貧富の差も非常に激しいものになっています。

そのため、どんなビルを建てても、どんな工芸品でも、実際に手足を使って作業をするのは下層のクラスの人達で、それもにわかにその辺から集められたような人たちばかりなので、こういうものの質はあまりよくはありません。どんな高級ホテルでも、雑な仕上げになっている所があるのもそのせいですし、インドのお土産品もよく見ると雑なのはそういった事情があるからなのです。インドでは、「職人」というものはほとんど存在しません。上層のクラスの人間は、下層クラスの人間を「あいつらはバカだから、手足を使うことしかできない。」と平気でバカにします。その上、下層の人間に対する言葉づかいはすごく、何か失敗でもしようものなら、それはそれはぼろ糞になじります。ひゅーは片言のヒンズー語しかわからないので、正確には分からないのですが、ほぼ人権・人間否定をしている言葉を連呼します。このカースト制度による差別は、現在では法律では禁止をされていますが、ヒンズー教はカースト制度を前提にしていますので、インドの生活の中に深く深く定着をしています。
そのため、強烈な差別がインド国内では起きています。例えば、インド人の名字からある程度のカーストのクラスが分かるようで、下のクラスのカーストは就職でも採用をしないとか、選挙でも落選するとか、そう言ったことから、陰湿ないじめまであります。
下層の階級の人が、上層の階級の人に触ることさえ許さないとか(触るだけでボコボコにされる)、下層の人が触ったものはけがれたということで誰も使わなくなるとか・・・バッド(下向き矢印)なので、日本人がインドに行って、会話の中で注意しなければいけないことがありますexclamation×2
もしインド人に、「あなたの職業は何?」とか「あなたの親の職業は何?」と聞かれたら、農家・大工・理容師・運転手・コックなどとは答えてはいけません。この辺の職業は、カーストの下層のクラスの仕事で、この職業をしているというだけで、あなたのことを下層のクラスの人間として見下し始めます。もちろん、カースト制度では「親の職業」=「自分の職業」なので、親の職業を言う時にも同じです。
なので、そのような職業についている日本人の人は、嘘でも「会社員」と答えるのが無難です。実際には、インドではそのカーストにさえ区分されない、「不可触民(アンタッチャブル)」というカーストの底辺以下のクラスも存在します。インドではこの「不可触民」が一番多いとも言われ、この人達がインドの経済を実質的に支えているのが実状です。では、インド人達はこのカースト制度をどう受け止めているのでしょうかexclamation&question
もちろん、下層のクラスは嫌がっている人もいるとは思いますが、意外にカーストを受け止めてもいます。インド人の中では、「このカーストがあるから、そのクラス同士で支え合い協力し合い生きていける」とか、「このカーストがあるから、職業がみんなに分配(ワークシェアリング)され、仕事にありつける」など、肯定的に受け止めているのも事実ではあります。だから、カーストの話題とかは出してはいけないものかと思いきや、インド人の方から「自分のカーストはこうだから・・・」と話題を出してくることもあります。どうも、禁句ではないようです。ここまで、カーストは絶対に変えられないとここまで書いてきましたが、実は変えられる方法があるんですexclamation×2
それは・・・ひらめき「今の一生を一生懸命頑張って、生まれ変わっていいクラスに生まれ変わる」
ヒンズー教では、輪廻転生がベースになっていますので、生まれ変わっていいクラスに行けることを信じてみんな頑張るのです。
でも、これでは今の人生では変えられないですね…。「改宗する」
ヒンズー教だけが、カースト制度を肯定していますので、違う宗教に、例えばイスラム教とかシーク教とかに改宗すれば、カースト制度が適用されなくなります。
こういう理由で、インドではイスラム教に改宗する人も多いようです。「IT系の職業に就く」
カースト制度は職業制度でもあるので、カーストの分類に当てはまらない「新しい職業」に就くことでカースト制度から逃れることができます。カースト制度は昔に考えられた区分なので、昔に考えつかなかった職業に、例えばIT産業とかは区分しようにも区分できないんです。
インドでIT産業が盛んな理由のひとつが、カースト制度によるものとも言われています。日本人には、想像できる域を超えるところが多いですが、これもインドの陰の部分ですね…。
(転載ここまで)
ヒンズー教の家系に生まれて、自分たちは前世(の行い)によって身分が決まると信じられているのに、改宗をするのは自由なのですね?キリスト教徒になっても良いのですね。
輪廻転生は存在しないので、良いクラスに生まれ変わる事を信じて最下層のカーストの人生を一生懸命生きて生涯を閉じても、その後、高いクラスのカーストに生まれ変わる事はありません。天国には行けると思います。
そんな差別が存在し続けている中で、ガーヤトリー・マントラが夢を叶える最強の真言というようにスピリチュアル系が宣伝しているのはどうなのかと思うのですが。それなら世界中全ての人たちがそれを唱えたらきっと素晴らしいことになるに違いありません。
いいえ止めた方が良いと思います。
 
それから、ヒンズー教は前世によって現世の身分が決まっていると言われていますが、輪廻転生は悪魔崇拝者の嘘であり、本当は存在していません。
ですから輪廻転生や「カルマ」について語るスピリチュアル系の人たちも皆嘘つきだという事です。
ヒンズー教も仏教も神道も悪魔崇拝です。
ヨガも瞑想も、マントラも、チャクラを開くことも悪魔教から来る教理であり、本当の神ではなく悪魔に繋がる事です。
(キリスト教は瞑想と何の関係もありません。「キリストも含めて聖人と呼ばれている者たちは皆瞑想をしていた」などと出鱈目を言うスピリチュアル系がいますが、イエス・キリストなど聖書に現れる聖人たちが瞑想をしたという事実はありません。断食ならしていましたが。)
マントラは神様と繋がる呪文ではありません。悪魔と繋がる呪文です。それをとても良い、神聖な音だと宣伝しているスピリチュアル系の人達は、多くの人々を呪わせたいのでしょうか。
そのような嘘ばかりを伝えているスピリチュアル系に従っても、良い結果にはならないと思います。
悪魔の嘘ばかりのスピリチュアル系からは、足を洗うことをお勧めします。

はっきりと言いますが、悪魔を何度も呼べば、当然、悪魔はあなたの傍にやってきます。

昔、コックリさんなんてものが流行しましたよね。

で、本当にコックリさんが来たといって驚く人もいました。もちろん、実際に来たと感じなかった人からすれば、こいつは嘘をついているとか、頭がおかしいとか思ったかも知れません。

しかし、私から言わせてもらえば、霊物を呼べば、当然、その霊物はあなたの傍に寄ってきます。別にそれは不思議な現象でも何でもありません。

その一方、「キリスト教」では「神様」とか「主」とか「イエス様」とか「聖霊様」を呼びますので、そうすると、それら三位一体の神様があなたの傍に来て下さいます。

で、これらの聖なる清い霊が臨めば、あなたの心には清さと平安とが訪れます。喜びや希望も湧いてきます。

しかし、「悪魔」が臨めば、逆にあなたの心は苦悩と不安と邪念に満ちていきます。そして、確実に人生が破壊されていきます。

実際、私の実家のすぐ近くにあった二軒の「創価学会」の信者の家は、片方が火事になり、片方は見るも無惨なほど空き家のようなボロボロの有様になっています。

で、創価の上層部だけが大儲けして立派な家に住んでいるというわけですね。もっとも、彼らもいずれは悪魔の餌食になるでしょうが。

ですから、「創価学会」はもはや単なるカルトではありません。完全な「悪魔教」です。仏教を装った他の新興宗教もその中身はきっと似たようなものなのでしょう。

あと、「仏教」には「お経」の他にも「真言」というものがあるそうですね。「真言宗」の「真言」です。

「お経」と「真言」の違いが何かというと、「お経」は仏教思想を記したり、喩え話などで例示したりしている文章だとのこと。

一方、「真言」(マントラ)は、もともとは仏教以前の古代インドで、バラモン僧が唱えた神聖なまじないの言葉だそうです。

神に呼び掛ける言葉で、唱える声そのものに力があるとされていて、それが仏教、特に密教に取り入れられとのこと。

真言 – Wikipedia

このウィキペディアの「真言」の記事を見てみると、例えばこんな風に悪魔を呼ぶそうです。

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•大日如来-オン・バサラ・ダトバン(Om vajra-dhatu vam)オーン。金剛界の主尊よ。ヴァン。•阿弥陀如来-オン・アミリタ・テイセイ・カラ・ウン(Om amrta-teje hara hum)オーン。甘露の威光ある尊よ。運載したまえ。フーン。

•阿閦如来-オン・アキシュビヤ・ウン(Om aksobhya hum)オーン。阿閦尊よ。フーン。

•不空成就如来-オン・アボキャシッデイ・アク (Om amoghasiddhi ah)オーン。不空成就尊よ。アハ。

•宝生如来-オン・アラタンナウサンバンバ・タラク (Om ratnasambhava trah)オーン。宝生尊よ。トゥラーハ。

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仏教に出てくる如来や仏様の名前は、すべて悪魔の固有名詞と考えて間違いないでしょう。それらを召喚するのが「お経」であり「真言」であるということです。

我々はどんな宗教を信じる際にも、きちんと教理を理解し、教理の意味を分かった上で信じなければなりません。何の説明も聞かないまま、何の根拠も示されていないものにすがりついてはいけません。

でなければ、こうして知らず知らずのうちに「悪魔」などを帰依し、召喚することになってしまうのです。そうして、人生が破壊されてしまうことになのです。

もっとも、「仏教」には「キリスト教」のように確固たる一つの教典がないわけですから、それももうほぼ不可能でしょう。悪魔どもが人々を惑わすために、わざと教典を作らず、教義を曖昧なものにしてしまったのです。

何度も言いますが、この世には確実に「霊界」が存在し、「神様」も「悪魔」も存在します。

で、「悪魔」を呼べば「悪魔」がやってくるし、「神様」を呼べば「神様」がやってきます。それがこの世の真実です。

あなたの友人を呼べば友人がやってきて、恋人を呼べば恋人がやってくるのと同じことです。

あなたの友人を呼んでも恋人は来ないし、恋人を呼んでも友人は来ませんよね。

果たして「神様」が来るのと「悪魔」が来るのと、どちらがいいでしょうか。

選択するのはあなた自身です。

(転載ここまで)

参照リンク

 神社仏閣に潜む悪魔たち。またはアガルタから悪魔のメッセージを伝える人たち。http://rapt-neo.com/?p=24282

日本は昔も今も悪魔教の国。http://rapt-neo.com/?p=38862

キリスト教は悪魔崇拝者によって内部から破壊された。その歴史の詳細について。http://rapt-neo.com/?p=9309